晴れたり曇ったり。気温は三月並みだったようだが
陽射しが少なかったせいかさほど暖かくは感じなかった。
あちらこちらで梅が満開である。風が仄かに匂うようだ。
夜明け前、ふと自分が生まれた時のことを想い詩を書く。
もちろん記憶などあるはずもないが
どうして憶えていないのだろうと思う。
憶えていればどんなにか母を愛しく思ったことだろう。
死んでも涙一つ出なかった薄情な娘である。
そのことをずっと罪のように感じてならない。

やっと仕事。お休みはもうたくさんだと思っていた。
だから今朝は嬉しくてならず気分が高揚していたようだ。
仕事を失ってしまったらどうなるのだろう。
暮しの目途も立たなくなりたちまち困窮するのが目に見えている。
字を書くことも無くなり頭を使うことも無くなってしまったら
認知症になってしまうのかもしれない。
そうかと思えば未だゴールが見えないことに戸惑いを感じている。
70歳か、75歳か、もしかしたら80歳かもしれない。
こればかりは義父次第だがなんだか義父が死ぬのを待っている気がする。
それもまた薄情なことで罪の上に罪を重ねているようなものである。

少し早めに終わらせてもらってサニーマートへ。
昨日買い込んだので今日は節約が出来そうだった。
「赤魚と豆腐の煮付け」はもう決まっている。
頂き物の巨大なキャベツもありキャベツ料理をと考えた。
思いついたのは「キャベツの卵とじ」味付けはお醤油と砂糖である。
これは如何にも貧乏くさいので合い挽きミンチを入れることにした。
それからキャベツとシーチキンで「マカロニサラダ」にする。
後は「牛カルビとにんにく芽のタレ漬け」これは炒めるだけのもの。
帰宅したら娘婿の友人から伊勢海老が届いておりお刺身も加わる。
頭と殻は明日の朝のお味噌汁にすることになった。
あやちゃんとめいちゃんはレトルトカレーを食べていた。
伊勢海老はグリルで焼いた方が良かったようだ。
「キャベツの卵とじ」はまるで怖い物のように誰も箸を付けない。
その上に昨夜の切干大根も残っていて踏んだり蹴ったりである。
でも今夜も機嫌の良いあやちゃんが嬉しくてならなかった。
食べ終わると大きな声で「ごちそうさま」と言ってくれる。
もしかしたらトンネルの出口が見え始めたのかもしれない。
あともう少しなのだ。トンネルを抜けたら桜の花が咲いているだろう。
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