久しぶりの青空であったが強風注意報が出ていた。
陽射しを突き破るようにして冷たい北風が吹く。
朝の国道沿いに白木蓮の花が咲き始めていて思わず歓声をあげた。
春を告げる花である。毎年咲くのをどんなにか待ちわびていることか。
とても大きな樹で満開になると見事な存在感がある。
今日よりも明日と咲くことだろう。朝の道が楽しみでならない。
蕾はまるで手のひらを合わせたように見える。
何を祈っているのだろう。それとも感謝の気持ちなのかもしれない。

やっと月曜日。する仕事のあることが有難くてならなかった。
朝から来客が多く嬉しい悲鳴をあげるばかり。
あっという間にお昼になり急ぎ足で時間が過ぎて行く。
義父は好天気に農作業をしたくてならない様子で少し苛立っていた。
言葉が荒くなっていたがそれを宥めるようにやり過ごす。
にっちもさっちも行かないとはこんな時を云うのだろう。
やっと一段落したがまだ朝食も食べていないのだった。
「腹が減っては戦が出来ぬ」と促し大急ぎで掻き込ませた。
すでにお昼休みであったがまた来客がある。
義父を送り出した後で私が対応するしかない。
不謹慎にも頭の中は短歌のことでいっぱいになっていた。
大丈夫、15分もあれば書けるだろうと甘く見過ぎていたようだ。
今日は「愛」から始めなければいけなかった。
例の如くでどうして愛なのかと自分を責めたくなってくる。
また悩みの種を蒔いてしまったようだ。さてどうする。
しばらく考えていたらふと「愛別離苦」と云う仏教の言葉が浮かんだ。
これは人間の八苦のひとつで愛する者とは必ず別れがやって来る。
それが人の世の儚さであり運命であると云う教えであるらしい。
無知で教養のない私ではあるが昔読んだ本にそう書いてあった。
「愛別離と書けば苦しかないけれどこの世の掟なんと儚し」
この歌を詠むのに30分程かかる。もう時間の余裕など無いに等しい。
仕方なく仕事をしながら次の歌を考えなければならなかった。
よほど追い詰められていたのだろう。もう限界かもしれないと思う。
短歌なんていっそ止めてしまおうかとも思った。
でもそれでは今までの努力が水の泡になってしまうのだ。
こんな時こそ「負けるもんか」なのだ。限界を乗り越えずにどうする。
私は崖っぷちに立っている。そう思ってなんとか後の2首を書き終えた。
これは明日もある。明後日もある。生きている限り続くのである。

帰り道のラジオで震度3の地震があったことを知る。
運転中の事で全く気づかなかったがけっこう揺れたようだった。
つい先日も震度2の地震があったばかりで不安がつのる。
幸い震源地は土佐沖ではなかったが近いうちに必ずあるだろう。
帰宅したら夫が「おまえは逃げるのは無理だ」と言う。
娘も一緒になって私を馬鹿にするので開き直ってみた。
杖を放り投げて走れるかもしれないのだ。
火事場の馬鹿力をきみたちは知らないのかい。
その時になってあっと言わせてやろうではないか。
朝に晩に仏壇に手を合わせている。
どうか大きな地震が来ませんようにと。
家族皆をどうかお守りくださいと。
しかし私をお守りくださいとは一度も願ったことはない。
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