ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年03月04日(月) 花の命は短くて

朝は真冬の寒さだったが日中は春の暖かさとなる。

暑さ寒さも彼岸まで。あと2週間もすれば本格的な春になるだろう。


今朝驚いたのはご近所の例の桜がすっかり散ってしまっていたこと。

こんなに早く散ってしまったことがかつてあっただろうか。

悪天候が続けばそれも在り得るだろうがなんとも切なくてならない。


花の命は短くて苦しきことのみ多かりき。

私は学も教養もないがこれは林芙美子の短詩らしかった。

「放浪記」を一度読んでみるべきなのかもしれない。




さあ月曜日と勇み足で職場に向かう。

再び禁煙を試みてみようと意気揚々としていたのだけれど

昨年の経験からしてもそれは容易なことではなかった。

我慢をすればするほど仕事が手に着かない。

とうとう限界となり同僚から煙草を貰って火を点ける。

意志の弱さはもちろんのこと精神的に異常なのではと思う。

情けないことだがもう自分を責めることはしなかった。

もう禁煙はよそうと思う。もう苦しむのはこりごりである。

声はそのうちきっと出るようになるだろう。

もうしばらくがらがら声で頑張ってみようと思う。



昨夜「塵も積もれば山となる」と書いてしまったが

かなり自暴自棄になっていたようだ。

もうどうでもいいようなやけっぱちな気持ちだったのだろう。

しかしこの諺の本当の意味は

塵のように取るに足らない存在であっても

それが時間をかけて積もっていけば山のようになるように

些細な行動も時間をかけて継続すると

やがて思わぬ大きな結果につながるものであるということなのだそうだ。

些細であってもよいから善行や努力などを地道に積むことである。


私はどうやら思い違いをしていたようだった。

自分の書く詩や短歌を「塵」だと表現してしまったのだが

それをまるで汚物かごみのように思っていた。

確かに取るに足らないものではあるが決して無駄ではないのだ。

どれほど蔑まされても私は私を見失ってはいけないのだと思う。

認められたい「欲」ばかりでどうして生きて行けようか。

もっと誇りを持って生きて行かなければならない。


命ある限り書き続けていればきっと光が射す日も来るだろう。

もし死んでしまっても誰かの心に在り続ける私でありたい。






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