花冷え。陽射しはたっぷりとあったが風が冷たく感じられる。
気温も12℃止まりで先日来の気温に比べると10℃以上も低い。
桜は満開になっておりお花見に出かける人も多かったと思うが
この寒さではゆっくりと桜を愛でることも出来なかっただろう。
幸いしばらく雨の日はなさそうだが散り急ぐことがないことを願う。
子供達が幼い頃にはおにぎりを持ってお花見に出掛けたが
もう40年もの歳月が流れてしまった。
川仕事の最盛期の頃でお花見どころではない忙しさだったが
子供達の嬉しそうな笑顔が昨日のことのように目に浮かぶ。
暮しの為とは云えどれ程寂しい思いをさせたことだろう。
そんな川仕事に終止符を打った今であっても戻れない春であった。

今日もだらしなく寝てばかりの一日だった。
娘達は「行って来ます」の一言もなく高知市へと出掛けて行く。
あやちゃんのことなど少しも頭にないのだろう。
いくら引き籠りであってもあまりに憐れに思えてならなかった。
サニーマートへ買い物に行く時に声を掛けてみたが
「別に行きたくない」と云って素っ気ない返事だった。
昼食のこともあったが娘が何か買い置きをしていたらしい。
「あるから大丈夫」と鬱陶しそうに私の声を遮っていた。
夫が「そっとしておけ」と云うのでもうそれ以上声も掛けられない。
夕飯時も同じくで階下へ降りて来ていたが私達と一緒は気が進まないらしく
「大丈夫」の一点張りでまた二階へ駆け上がってしまった。
それにしても娘達の帰りの遅いこと。もうすぐ8時になろうとしている。
私達が居るからと安心しているのかもしれないが
もしあやちゃんが独りぼっちだったらどんなにか寂しいことだろう。
「大丈夫」を過信してはならない。それが本心とは限らないのだ。
学校へも行っていない出来損ないと思っているのならそれは大間違いである。
どうして行けなくなってしまったのか未だに誰も気づいてやれないのだ。
原因があるからこそ途惑い悩み辛い思いをしたのだろう。
ただそっと見守るだけでは何も解決しないように思う。
けれども娘達の方針に口出しは出来ず老婆心ばかりが疼くこの頃であった。
自立心は確かに育っていて今夜も冷凍パスタを温めていた。
私が手を貸そうとするとまた「大丈夫」と突き放すばかり。
娘達にそんなあやちゃんの健気さを見せてやりたかった。
まだ母親が必要な年頃なのだ。どうして気づこうとしないのだろう。
娘に電話をして帰宅時間を訊こうかと思ったがそれが出来ない。
「関係ないでしょ」と叱られるのが目に見えている。
ざわざわと落ち着かない気分だがひたすら帰りを待つしかないだろう。
家族でありながらそうでないような他人の顔などどうして出来ようか。
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