ひんやりとした朝であったが日中は爽やかな晴天となる。
週間予報ではしばらく朝の寒さが続きそうだった。
愛用のちゃんちゃんこはもう少し仕舞わない方が良いだろう。
今朝は温風ヒーターが必要な肌寒さであった。
俳優の松山ケンイチが四国遍路に挑んでおり
SNSで毎朝報告があり楽しみにしている。
今朝は二十九番札所の国分寺であった。
高知県南国市に在るお寺だが私は一度も参拝したことはなく
見どころの多い古刹と聞き興味が湧かずにはいられなかった。
土佐路は札所から札所までの距離が遠いため
足を痛めるお遍路さんが多いらしい。
松山さんが歩き遍路なのかは定かではないが道中を気遣う。
やがては高知県西部に辿り着くことだろう。
もしかしたらその姿が見られるかもしれなかった。
それにしても忙しい俳優業の傍らによく決心したものだと思う。
長期の休暇を取るのも並大抵ではなかっただろう。
これまでのイメージが一転し尊敬せずにはいられなかった。

同僚が通院のため会社は臨時休業を決め気兼ねなく休むことが出来る。
今朝はアラームが鳴っても起きられず辛い程の眠気であった。
「春眠暁を覚えず」とは正にこの事である。
老体にムチを打ち過ぎたのだろうダル重の朝であった。
朝ドラを見終わってからそのまま2時間ほど眠る。
気の早い夫が炬燵を片付けてしまっており毛布にくるまっていた。
それでも寒く何だか目覚めが悪くしんどくてならない。
それからカーブスに向かったが本調子ではなかった。
お仲間さんが声を掛けてくれ何と90歳のお仲間さんが居るとのこと。
「ほら、あの人よ」と教えてくれたがその姿を見て驚く。
背筋は真っ直ぐに伸びており颯爽とした姿はとても90歳には見えない。
「私達も頑張らんといかんね」と互いに励まし合ったことだった。
しかし90歳まで生きていられるだろうか。
そんな不安が真っ先に浮かび心細くてならないのだ。
けれども励みにはなったのだろう。気が付けばもう怠さはなかった。
薄っすらと心地よく汗を流し別人になったように帰路に就く。
昼食後はまた毛布にくるまり3時半まで眠っていた。
内容は忘れてしまったが若い頃の夢を見ていたようだ。
ほんわかとした夢で心地よく目覚めることが出来る。
夢の中では足の痛みもないのだからこそ「夢」なのだろう。
最近は母の夢を見ることが殆ど無くなったが
昨夜もここに記したようにとても身近な存在であった。
きっと魂が安らいでいるのだろう。成仏したのに違いない。
私も母を心の底から赦すことが出来たのかもしれなかった。
歳月は「薬」である。その薬があってこそ明日を生きられるのだと思う。
※以下、今朝の詩。
若葉
若葉冷えなのだろうか きりりとした寒さである
引き締まるこころには 一本の老木がそびえていて 息を紡ぎながら夜明けを待つ
相応しい朝になるのだろう いつだって新しくなれる
枝先の若葉はこどもたち その愛しさに胸を熱くし ただひたすらに守ろうとする
過ちがあってはならない 正しさの行方を追うばかり
樹齢は定かではないが 随分と生き永らえて来た
いくつもの朝と季節を越え 若葉となればもう 今日を生きるしかない
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