2025年04月27日(日) |
生きてみないとわからない |
朝の寒さはつかの間のこと日中は5月並みの暖かさとなる。
夏日にはならなかったので過ごし易い一日だった。
ツツジが満開となり色とりどりの花に心が和む。
何年前のことだったか夫と愛媛の大洲市に行った時のこと
ちょうどツツジ祭りが行われていて感動したことを思い出す。
もう二度と足を延ばすこともないだろう。忘れられない花となった。
昨夜はこの日記を書き終えるなり小学生時代の恩師から電話があり
あまりにも思いがけず涙がこぼれそうになった。
先週の高知新聞を見てくれたそうで私の声を聞きたくなったらしい。
ずっと高知市内に在住していたが今は東京暮らしになっている。
もう高知新聞に目を通すこともないだろうと思い込んでいた。
けれども時々帰省しており過去の新聞を取り寄せているのだそうだ。
小学4年生の時の担任だったからもうかれこれ60年の歳月が流れた。
その間一度も会ったことはないのに私のことを忘れないでいてくれる。
せめて電話番号だけでもと取り交わしたのも随分と昔のことだった。
新聞に私の短歌が出る度に電話やメールをしてくれ嬉しかった。
「頑張ってね」といつも励ましてくれてどれほど救われたことだろう。
その先生ももう83歳になったのだそうだ。
けれども何と若々しい声だろう。背筋の伸びた颯爽とした姿が目に浮かぶ。
弱音を吐く私に「まだまだこれからよ」と励ましてくれたのだ。
生きている限りである。何としても人生を全うしなければならない。
書くことが生きることなら書きながら死ぬことも出来るだろう。
そうして「これが私ですよ」と書き残して逝かねばならない。
それがどれほど愚かで儚いことであっても貫くために生きている。
花は散り朽ちても根を張り種を残すことが出来るのだから。
※以下今朝の詩
日にち薬
夜明け前のひと時が好きだ 息を数えていると何だか むくむくと心が動き出す
一粒の薬をのむ それは今日のために 神様が下さったもの
どんな一日になるのか 生きてみないとわからない
溢れんばかり陽射しを浴び 花のように生きていきたい
夜が明ければ薬が効き出す まるで一粒の奇跡のように
失ったことがあったのだろうか 歳月は彼方へと去り 新しい一日が始まる
|