若葉冷えを思わす朝であったが日中はすっかり初夏の陽気となる。
盛りを越えたツツジが少しずつ枯れ始めた。
椿のように花ごと落ちているのもあれば
茶色に染まり木にしがみついている花もある。
おそらく種類が違うのだろうがよく分からなかった。
どちらにせよツツジの季節が終わろうとしているのだ。
入院3日目となった義父はひたすら嘆くばかりである。
田植えどころではなくなりその失望はとても大きい。
おまけに絶食を強いられており何も口に出来ないのだそうだ。
飲まず食わずである。その辛さは並大抵のことではないだろう。
とにかく辛抱をと宥めるばかりだが何とも憐れでならなかった。

あやちゃん13歳の誕生日である。
「おめでとう」と告げれば「ありがと」と朝からとても機嫌が良い。
その笑顔を見るだけでほっと救われたような気持ちになった。
大きな葛藤もあるだろう。苦悩を抱えたままの日々である。
どうすれば良いのかその答えも分からないままであった。
娘が家に居るようになってから随分と明るくなったように思う。
やはりまだ母親が必要な年頃である。娘も感じているようだった。
そのせいか積極的に新しい仕事を探しているようにも見えない。
あやちゃんが一番に求めていることなのかもしれなかった。
長女として生まれ私達にとっては初孫であったが
それは目に入れても痛くない程に可愛くてならなかった。
成長を願いどれ程愛情を注いで来たことだろう。
今のように不登校になるなど誰も思ってもいなかった。
そんなあやちゃんにだって未来がある。
少女から大人になるのだ。それが未来でなくて何だろうと思う。
恋をする日も来るだろう。愛する人に巡り会う日も。
そうしてやがては母親になる日がきっと来るのに違いない。
見守ることを投げ出してはならないのだ。
今日明日のことではない。長い目で見待ってやらねばならない。
そうして何よりも傷つけてはならないのだと思う。
あやちゃんは決して独りぼっちではなかった。
家族一丸となり寄り添いながら守り続けて行きたい。
※以下今朝の詩
底
どん底ではあるまい 微かに清い水がある 五月の空は澄み渡り 陽射しは分け隔てなく 降り注ぐばかりである
大河はゆったりと流れ 海の声に耳を澄ませる 希は絶たれはしないのだ
もがきくるしみあがく そんな愚かさもやがて 報われる日が来るだろう
底を生きていればこそ 仰ぐことが出来るのだ
水面の上には確かに 五月の空が輝いている
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