ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月04日(日) みどりの日

雲一つない快晴。爽やかな風が吹き過ごし易い一日だった。

長いこと咲いてくれた桜草もとうとう散り始める。

右隣の奥さんは茎を切り落とさず来年まで残して置くのだそうだ。

とにかく手を入れてはいけないらしい。そっとするべき花である。

私は花の知識に疎いが右隣の奥さんは花博士のような人だった。



入院中の義父はやっとお粥が食べられるようになったとのこと。

今朝はスープも付いておりよほど嬉しかったのだろう。

声も弾んでおり嘆くこともせず私も目の前が明るくなった。

連休明けには退院が出来るかもしれないがそればかりは勝手が出来ず

医師の判断に任せるしかない。やはり俎板の上の鯉である。

大きな失望と焦りであるが義父の身体を一番に重んじるべきだろう。





午後けたたましくサイレンが鳴り響き近くの平野地区で火災があった。

元消防団長の夫は居ても立ってもいられなくなり現場を見に行くと云う。

現役の消防団員である娘婿は既に消火活動に向かっていた。

平野地区は海の見える高台にあり今は高級住宅地であったが

火災は昔からある住宅らしく隣家にも火が燃え移っているようだった。

野次馬などもっての外である。現場周辺は沢山の消防車であった。

興奮していた夫もやっと我に帰り邪魔は禁物と気づいたようである。


3時間ほど燃え続けただろうか。4時頃鎮火の防災放送が流れた。

帰宅した娘婿に聞けば3棟の住宅が全焼したらしい。

何と気の毒なことだろう。何もかも焼け尽くされてしまったのだ。

せめて住民の命だけは無事であって欲しいと願うばかりであった。


いつ何があるか分からない世の中である。

火災は日頃から用心していれば防げるが延焼は免れようがない。

台風や地震ともなれば決して逆らうことも出来ないのだ。

自然災害が起こる度に明日は我が身だと思う。

如何にして身を守るかだが何ととてつもなく大きな不安だろうか。


「笑点」が終われば「ちびまる子ちゃん」があり「サザエさん」がある。

日曜日の夜はこの上なく平和であった。

けれどもそんな平和とは全くかけ離れている人が居ることを忘れてはならない。

せめて朝の光だけは分け隔てなく降り注ぐべきなのだ。


※以下今朝の詩

    
        みどりの日

      こころが豊かになる
      ほんのりと緑が匂う
      それはある日の野辺

      若草は陽を浴びて
      きらきらと輝いている

      踏まれた日もあった
      冷たい霜に覆われた日も
      けれども嘆くことをせず
      空を仰ぎ続けて来たのだ

      そうして訪れた春である
      願いはきっと叶うだろう

      草として生きて来た
      小さな花だって咲く
      それはまるで夢のよう

      ゆらゆらと風になびく
      空はどこまでもあおい








 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加