ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年05月14日(水) 10年の未来

最高気温が26℃となり連日の夏日となった。

幸い湿度が低いのだろう蒸し暑さはなく過ごし易い一日なる。


大きな木に薄紫の花がたわわに咲いているのは栴檀の木であった。

昨年までは職場の庭にもあったのだが伐採されて今はもうない。

好きな花だけに毎年楽しみにしていたので寂しくてならなかった。

隣家の若い住人には目障りだったのだろうか。

やまももの木と同じく伐採を申し出て来たのだった。

義父は逆らうことをしなかったが母ならばきっと反対しただろう。

私は何も云えなかったがあっけなく伐られ残念でならない。

鳥たちの声も聴こえなくなり「止まり木」を失ってしまったのだ。





田んぼが一段落した義父が工場に居てくれて随分と助かる。

仕事の段取りもやはり社長自らでなければいけない。

同僚は少し緊張しているように見えたが張り合いはあるだろう。

私も同じくで肩の力を抜くことが出来なかった。


午後は事務所で久しぶりにゆっくりと話すことが出来た。

会社の経営難のことも話せば少しでも気が楽になる。

義父は農業の莫大な経費のことを嘆いていた。

会社も困窮しており助けてやることも出来ない。

宝くじなど絶対に叶うはずのない夢である。


驚いたのは義父の考えでは後10年なのだそうだ。

会社も農業も続けると云い張り私は気が遠くなってしまった。

義父は92歳、私は79歳、同僚は72歳になってしまう。

命も心細いのにどうしてそれほど続けられるだろうかと思った。

しかし「やるっきゃない」の義父である。

精神力の強さは並大抵ではなかった。

命がけで貫こうとする強い意志が感じられる。

そんな義父をどうして見捨てられようかと思った。

誰一人欠けてはならない会社である。

難破船ならきっと辿り着く島があるのではないだろうか。


途方に暮れてはならない。強く逞しく生きていかねばならない。

その傍らで「死」はどんどん身近になっていくだろう。


覚悟を決めなければと思う。それは嘗てなかったような大きな山だった。

79歳の自分が想像出来ない。生きている保証も在りはしないのだ。

今日ほど生きたいと思ったことはない。

義父を残してどうして先に逝けようか。


※以下今朝の詩


         信念

     真っ直ぐに貫いている
     折れることもあれば
     倒れることもあった

     茎には紅い血が流れ
     花には蜜があふれる
     葉は風に揺れるばかり

     いったい何のためにと
     生きる意味を問うている
     永遠など在り得ないのに
     儚さを糧にしようとした

     命がけで貫いている
     最期は燃え尽きるのか

     誇る程の花ではないが
     野辺の片隅で生きている

     生きた証を残さねばならない



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