ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年06月12日(木) 雷鳴

日中は曇り空であったが夕方から本降りの雨となる。

週末まで梅雨空が続き来週には青空が見えそうだ。

晴れたら晴れたでどんなにか暑くなることだろうか。


朝の山道で栗の花を見たがまだ落ちてはいなかった。

私の変な拘りかもしれないが本当に落ちるのか確かめてみたい。

もし散るのであれば「栗花落」があやふやな言葉になってしまう。

しかし散ることが落ちることだとすれば納得が行くだろう。

どちらにしても花が朽ち果てることには違いないのである。



山里の職場に着くと義父はもう田んぼに出掛けているようだった。

おそらく田植え前の代掻きをしているのだろう。

お昼になっても帰らず2時前に電話がありお弁当を届けた。

空腹を訴え食欲が出て来たことが何よりに思う。

予定通りに田植えが出来れば良いのだが日曜日も雨らしい。

少しでも早く楽をさせてやりたくてならない。


工場の仕事は忙しく同僚が一人で奮闘していた。

生憎部品が整わず順調とはいかなかったが

明日には完了するだろう。最後の車検は義父次第である。


リハビリのある日だったので2時半過ぎに退社する。

今日は何故か左足の痛みが酷く思うようにいかない。

U君が神の手で優しく揉みほぐしてくれる。

リハビリが終わると嘘のように痛みが楽になっていた。

最近は杖なしで歩くことが多くなり足に負担が掛かっているようだ。

やはり杖に頼った方が良いのではとU君が云う。


めいちゃんが今日も学校を休んでいたので気になってならない。

帰るなり夫に訊けば「元気そうだったぞ」と云いほっとした。

相変わらず娘は詳しく話してはくれなかった。

それだけ大したことではないのだろうと思うことにする。

驚いたのは二日続けて学校から宿題が届いていたことだった。

病欠の生徒にまで宿題を強要するのだろうか。

ゆっくりと休ませてやるのが「教育」ではないかと思う。

出来なかったら宿題を忘れたことになるのなら余りにも可哀想である。

しかしそれも過剰な老婆心だろう。娘には何も云えなかった。

「また余計なことを」と叱られるに決まっている。



これを書いているうちにすっかり辺りは暗くなり

雨音に添うように雷鳴がとどろいている。

何だかざわざわと落ち着かない夜になった。


早寝を心掛けており寝る前に短歌と俳句を詠むのが日課である。

ほろ酔っているせいか我ながら大胆な作が多い。

翌朝に読み返すと「なんじゃこりゃ」と思う程の駄作であった。

けれども他の誰でもない「これは私だ」といつも思う。

愚かだと後ろ指を差されようと貫くべきだろう。

そうそう時間は残っていない。いつだって私は「いま」を生きている。


※以下今朝の詩


        わをん

    何も書けそうにないから
    わいうえをん
    それは昔のことでいまは
    わをんと云うのだそうだ

    わからないのわ
    これをみてのを
    しんでしまうのん

    失くしてしまったら
    言葉など綴れなくなる
    わがわたしであるなら
    をはわたしをあらわす
    んはなんだかせつない

    どうでも良いことなど
    この世に在るだろうか

    見て見ぬふりなど
    どうして出来ようか

    綴ったところで
    何も変わりはしないが
    いまここに生きている
    その事実を残したいだけ









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