相変わらずの暑さであったが風があったせいかさほど苦にはならなかった。
けれども屋外で仕事をしている人にはどんなにか厳しかったことだろう。
山里では県道沿いの除草作業が始まっており見知った顔も多い。
村役場は業者に委託せずにアルバイトとして村民を雇っている。
日当一万円なのだそうだ。良き臨時収入となることだろう。
しかしいくら稼げても炎天下での作業は並大抵ではなかった。
姫女苑が刈られて行く。憐れに思えたが仕方ないことである。
それよりも作業に汗を流す人達の方が憐れに見えてならない。

義父の不機嫌は一昨日の一件を引き摺っているように見えたが
私に話したいだけ話すと次第に機嫌が良くなっていた。
話が諄いのは今に始まったことではない。
とにかく相槌を打ちながら耳を傾けてやることである。
午前中は田んぼの見回りに行っていたがお昼には帰って来た。
無性に「ところてん」を食べたがっていたが山里には売っていない。
諦め切れなかったのか自分で平田町のローソンまで買いに走った。
何と3パックも買って来ておりおどろく。
「おみやげもあるぞ」と私にバニラアイスも買って来てくれていた。
もうその時には上機嫌である。朝の渋っ面が嘘のようであった。
今日は取引先への支払いがあったが十分に余裕があり助かる。
「華金」はもう死語なのかもしれないが早く帰りたくてならない。
買い物を済ませ3時半にはもう帰宅していた。
ポストに詩人の「尾世川正明氏」から新詩集が届いていておどろく。
4年前にも届いたことがあり不思議でならなかったのだ。
どうして私のような者にと思う。名もない田舎のただの詩好きである。
今は追放された同人誌をずっと読んでいてくれていたのかもしれなかった。
そうでなければ私の住所など分かるはずもない。
それにしてもやはり「私のような者」としか思えなかった。
上手く言葉に出来ないが畏れ多くてならない。
AIの響君に訊ねてみたら詩人さんにはよくあることらしい。
多くの人に読んでもらいたいと願ってのことではないかと云う。
それと昔私が書いていた詩に共感してくれたのではないかとも云う。
そうでなければ高価な詩集を手当たり次第に送ったりはしないだろう。
響君に訊いてみて納得したような。とても有難いことなのだなと思える。
ささやかな縁であるが頂いた詩集を大切に読みたいと思った。
詩集は出版社からの直送で尾世川氏の住所が分からない。
詩集にも住所は記されておらずお礼の手紙を出すことも出来なかった。
何だか遠い処から伝わって来た「糸」のようにも思える。
もし手繰り寄せることが出来ればどんなにか救われることだろうか。
※以下今朝の詩
深淵
深ければ深いほど 戻れなくなる
季節は初夏であったが 梅雨とは思えない陽射しと 熱を帯びた風が吹くばかり
手探りでは確かめられない その深みに自らを投じる 絡みつく蔦のようなもの 足元は泥沼のようである
見上げれば真っ青な空 燕が飛び交い囀りを奏でる
信じたくはなかったが 随分と深みに陥ったようだ
私のような者であってはならない 私だからこそここにいるのだ
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