曇り時々雨。通り雨と云うのだろうざあっと降ってはすぐに止む。
また春雨のように傘の要らない霧のような雨も降った。
そんな梅雨空もあと少しで週末からは晴天が続くらしい。
もしかしたらそのまま梅雨明けとなるのかもしれない。
朝の国道を行けば紫陽花の傍らにアガパンサスが競うように咲いていた。
薄紫よりも水色に近い花でその凛とした姿に感動を覚える。
けれども気づかずに通り過ぎる人も多いだろう。
それだけ紫陽花の存在感は大きく「誇り」のようなものを感じる。
山道を行けば民家の庭先にグラジオラスの花が咲いていた。
ひょろりと長い花なので雨に打たれて倒れている花もある。
憐れに思い手を添えてやりたいが何も出来ないもどかしさがあった。
人生は色々であるが花も色々で逞しく生きようとしている。
それぞれに与えられた生き方を全うしているのだろう。

義父が待機してくれているおかげもあって仕事は順調に捗る。
今日は例の大型車のエンジン交換が完成し何と安堵したことだろう。
車検整備で入庫してからもう3ヶ月が経過していた。
お客さんももどんなにか待ちくたびれていたことか。
かつてこれ程長く掛かった修理はなかった。
同僚は達成感よりも疲労が大きいらしく「もう二度と嫌だ」と云う。
精神的にも辛かったのではないだろうか。
最後の最後まで義父は手を貸そうとしなかったのだ。
それが試練だったと思うが同僚には上手く伝わっていないようだった。
車検完了の書類を整え3時過ぎに退社する。
肩の荷が下りたはずだが首が痛くなるほど肩と背中が張っていた。
帰宅して30分程横になりやっと少し楽になる。
まだ明日も明後日も頑張らなければいけない。
仕事は好きだが体力の限界を感じることが多くなった。
あと10年も持つだろうか。とても自信など在りはしない。
午後7時半、夏至を過ぎたがまだ外は随分と明るかった。
雨は止んでおり川向の山並みに靄が掛かっている。
川の流れは見えないがおそらく濁っていることだろう。
上流で降った雨が全て流れ込んで来る汽水域であった。
私は今夜も満たされていて何ひとつ足りないものがない。
書きたいだけ書けることは本当に幸せなことである。
踏みにじられ続けて来た歳月も今は救われているのだと思う。
試練なくしてどうして人生を全う出来ようか。
もし足らないものが在るとすれば新たな「試練」なのに違いない。
※以下今朝の詩
栞
糸を切ってしまったことがある そうして結ぶことをしなかった
長い人生のほんの一部分のことだ 記憶ばかりの真っ只中にたたずみ 忘れたふりをしようとしている
はらりと落ちる一枚の栞 ああここだったのだと思う 破ることの出来ないページは 随分と色褪せてしまっていた
もう何度目の夏だろうか 幾つもの季節が流れては 永遠であるかのように映る
私の否定は揺るがない 手繰り寄せることをせず 二度と慕うこともなかった
ぷっつりと切った そこには記憶の栞を挟んである
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