大気が不安定なせいだろうか風もなく何とも蒸し暑い一日。
気温は34℃と猛暑日ではなかったが江川崎は37℃を超えていたようだ。
紫陽花の何と憐れなこと。淡い色の紫陽花は特に無残である。
花が大きく存在感があるだけに朽ちて行く姿はせつなくてならない。
毎年思うことだが目を反らしてはいけないのだ。
最後まで見届けてやらねばあまりにも可哀想である。
愛でるだけの花ではない。その生き様を目に心に焼き付けておく。
朝から義父はまた畔の草刈りに出掛ける。
刈っても刈っても直ぐに伸びる夏草であった。
素人考えでは伸びたいだけ伸ばせておけば良いと思うのだが
稲の生育に支障があるのかもしれない。
辺りの田んぼを見渡しても畔の草は綺麗に刈り取らている。
心配なのは熱中症で昨日も徳島で亡くなった人もいた。
草刈り作業をしていたそうで義父の姿と重なる。
せめて朝夕だけに出来ないものかと思うが
一度始めてしまうと休むことをしないのだった。
今日もお昼に帰って来たが水筒のお茶を補給するとまた直ぐに出掛ける。
昼食をと声を掛けたが「食べている暇があるか」と云い放つ。
気が高ぶっているとしか思えずはらはらと心配でならなかった。
事務仕事が忙しく3時前に退社。義父はまだ帰っていない。
同僚も暑さに参っており「ごとごとやりよ」と声を掛けた。
まだまだ序の口の暑さだとすればこれからが思いやられる。
事務所はエアコンが効いているが同僚は涼もうともしない。
クールダウンすれば余計に仕事が辛くなるのだそうだ。
私一人がエアコンを抱えているようなもので心苦しくてならない。
買い物を済ませ4時前に帰宅。また茶の間で寝転んでいた。
夫と「銭形平次」を見ていたがうたた寝の常習犯である。
5時になれば起きて娘と夕食の支度であった。
ついつい娘の顔色を窺ってしまうが今日も機嫌が良くほっとする。
大きなお鍋でお素麺を湯がいた。毎晩でも食べたいくらいだ。
午後7時45分。薄っすらと日が暮れようとしている。
無風状態のようで窓を開けても熱気が舞い込むばかりであった。
エアコン無しでどうして過ごせようか。
後は短歌を詠んで寝るだけだが日課とは云え順調ではない。
何しろほろ酔っているものだから「いい加減」なのである。
それでも三首詠めると不思議と達成感に満たされるのだった。
「これだけは」と思う私の拘りなのだろう。
自分に課すことがあるのが生き甲斐のように思う。
昨夜もここに記したが死んでしまったら何もかもがお終いなのだ。
一日の終りにはいつも思う。今日も生きていられて良かった。
※以下今朝の詩
昭和その2
母が欲しがっていた 洗濯機が届いた
寒い冬ではなかったか 母はやっと冷たい水から 解放されるのである
洗剤を入れてスイッチを押すと 洗濯物がぐるぐると回り出す 父のシャツと母のパンツが 仲良く絡み合っていた
すすぎ終えると今度は絞る ローラーのようなものに 洗濯物を挟むと痛そうだ 取っ手をぐるぐる回すと 洗濯物はお煎餅みたいになった
面白いこれはやみつきになる 毎日お手伝いがしたくてならない 「おもちゃじゃないきね」 母は意地悪のように云う
お煎餅が何枚も出来た 皴を伸ばして母がパンパンと叩く
真っ青な空である 洗濯物も嬉しそうに見える
「明日も晴れたらえいね」
母のなんと幸せそうな顔だろう
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