曇り日。薄陽が射す時もあれば山里では通り雨が降る。
その名の通りざあっと通り過ぎたような雨だった。
猛暑は少し和らいでいたが変わらぬ蒸し暑さである。
朝の道にはお遍路さんの姿もなく侘しいものだが
山道へ入ると濃い緑が風にそよぎさながら森林浴の趣である。
エアコンを切り窓を開け放して走るのが何とも心地良い。
良心市にはまだ白いトウモロコシが並んでいる。
猛暑が続いていても枯れずにいるのだろう。
収穫をする農夫の笑顔が目に浮かぶようだった。
白いトウモロコシは食したことがないが
きっと甘くて美味しいことだろう。
その証拠に毎日売り切れているようだった。
職場に着けばみい太が子猫を伴って近寄って来る。
けれども子猫には餌を与えてはならず憐れでならない。
みい太(父親)と一緒に居れば餌にありつけるかもしれないと
子猫心に思っているのに違いない。それが余計に憐れであった。
幸い義父は保健所を呼ぶこともなくそっとしてくれている。
里親を探すと云っていたKちゃんは音沙汰がなかった。
日に日に痩せ細っている子猫を見るのがたまらなく辛い。
餌はもちろんのこと撫でてやることも出来ないのだった。

工場は車検が入庫。義父はエアコン修理と忙しい。
同僚は冷風の出るベストを羽織っているが
義父は扇風機も点けようとしなかった。
どんなにか暑いことだろうと気遣うばかりである。
部品が整った一台は修理が完了したように思えたが
順調にエアコンが効かず義父が原因を探りまわっていた。
「わかったぞ」その声に駆けつけると何と鼠の巣があるではないか
おそらく何処かの配線を齧られているのだろう。
こんなトラブルは初めてのことで義父の職人魂が燃え上がっていた。
そうなるともう昼食どころではなくなり必死で直そうとする。
日本中を探しても82歳の現役整備士が居るだろうか。
尊敬せずにはいられず頭が下がる思いであった。
義父と同僚に声を掛けて2時半に退社する。
FMラジオからは舟木一夫の「高校三年生」が流れていた。
今の時代にと違和感を感じるが聴けば懐かしい歌である。
買い物を済ませ4時前に帰宅。今日こそはと「銭形平次」を見ていた。
悪者を捕えたあとの平次の笑顔がとても清々しくて好きだ。
夕食を済ますと20分程自室で寛ぐのが常である。
パソコンでSNSを見たり煙草を2本吸ったり。
ある詩人さんが「日々の記録ではなく記憶になりたい」と書いており
胸がはっとするほど共感を覚えた。
詩も短歌もこの日記も記録には違いないが記憶として残したい。
そうして人生を全う出来ればもう思い残すことはないように思う。
それが私の記憶であると同時に誰かの記憶になればもう云うことはない。
私は「忘れられないひと」になりたい。
どうかどうか忘れないでいて下さいね。
※以下今朝の詩
墓穴
穴があったら入りたいが いざ入ってみると面白い
後悔のようなものは 得体の知れない怪物 闘わねばならず 拳を振り上げる
殴られたら殴り返すが 何と心地良い痛みだろう
でこぼこになれば その姿を見たくなる どれほど滑稽なことか
笑えば声が響き渡る 愉快な歌声のようだ
穴を掘るふかく掘る 私はやがて見えなくなるが 穴は永遠に残るだろう
生きることが愉快でならない
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