ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年07月13日(日) ほいたらね

晴れたり曇ったり雨が降ったりと忙しい空。

気温は30℃に満たず猛暑は和らいでいたが

酷く蒸し暑くエアコン無しでは過ごせなかった。


今年はまだ蝉の声を聞いておらず不思議な夏であるが

SNSを見ているともう鳴いている地域があるようだ。

南程早いように思い込んでいたが岐阜市でのこと。

何だか信じられなかったが嘘ではないようだった。

真夏と云えば蝉しぐれである。戻り梅雨が終われば

蝉たちも一斉に鳴き出すことだろう。

儚い命であるが鳴いてこその「いのち」だと思う。



日がな一日だらだらと寝てばかりいた。

ある人に云わせれば「寝るのも仕事」なのだそうだ。

そう思えば我が行いも釈明が出来る。

何も考えずにひたすら眠る。休む為には必要なことだろう。


弟の誕生日なのでお昼前に電話をしてみた。

もう66歳になり歳月の流れに戸惑うばかりである。

数年前まではお中元を兼ねてビールを贈っていたのだが

次第にそんな余裕も無くなり不義理を重ねている。

「貧乏はみんな一緒や」と今日は笑い飛ばしてくれた。

元気そうな声にほっとする。仕事もまだ続けているようだ。

子供の頃からどんなにか苦労を重ねて来たことだろう。

弟が居てくれたから私も一緒に荒波を乗り越えられたのだと思う。

私は19歳で最初の結婚をしたが大反対をしていた父に

「姉ちゃんの好きにさせてやれや」と云ってくれた弟だった。


どうかこれからも幸せな老後をと願う。

そうして元気に私よりも長生きをして欲しい。

「ほいたらね」と電話を切った。それから涙がぽろぽろと流れる。




夕方から雨が本降りとなり今もけっこう強く降っている。

雨音が耳に心地よいが切ないのは何故だろう。

何だか心の琴線が張り詰めているように感じる。

足りない物など何ひとつ在りはしないのに

いったい何を求めようとしているのか定かではなかった。

私は「わたし」以外の誰にもなれはしないし

なりたいと思う気持ちも在りはしないのだった。


ただ心細くてならない。明日が来るのだろうかと思う。

何だか自ら墓穴を掘っているような夜だ。


※以下今朝の詩


     誕生日

 たんたんたんじょうび
 まぶちゃんのたんじょうび

 子供の頃には歌えたのに
 おとなになると歌えない

 3歳位だったか
 まぶちゃんは池に落ちた
 私は泣きながら大声で
 助けを呼んだのだった

 6歳位だったか
 まぶちゃんは川で流された
 父の故郷の安田川でのこと
 父が川に飛び込み抱き上げた

 17歳の時である
 まぶちゃんは交通事故に遭った
 友人の運転する車に同乗していて
 首の骨を折る重傷であった
 頭蓋骨にドリルで穴を開ける
 大きな手術を経て一命をとりとめた

 よほど運が良かったのだろう
 どの時も「死」は身近である
 死ななかったことが生きること
 まぶちゃんは立派におとなになった

 可愛らしい孫がふたり
 穏やかな日常が流れている

 どうか元気で長生きをして欲しい
 お姉ちゃんは願い祈り続けている


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