朝方にはにわか雨が降り直ぐに止んだが
丁度朝陽が射し始めた頃で大きな虹が見えていた。
まるで川の中から生まれたような虹で何とも幻想的である。
あやちゃんに見せたくなり寝ているのを起こしたが
酷く機嫌が悪く見せてやることが出来なかった。
一日中部屋に閉じ籠っていて窓を開けることもしない。
空を思い出して欲しかったがそれもお節介な老婆心だろうか。
虹を見れば心が動かされるのではないかと思ったが
心の扉は固くまるで鍵を掛けているようであった。

さあ月曜日と気負いつつ山里の職場に向かう。
義父は早朝から草刈りに行ったらしくもぬけの殻であった。
10時頃に帰って来たが稲刈り間近の田んぼが猪に荒らされているらしい。
「いもち病」のあとは猪との闘いである。
電気ショックの機械を備え付けていたのだが故障していたらしい。
猪は稲を食い荒らしのたうち回れば稲は食用にならないのだそうだ。
獣臭が残るそうでその田んぼは全滅となってしまうのだった。
何でも修理する義父のことで早速機械の部品を注文していた。
早くしないと手遅れになってしまうので必死の様相である。
田螺に始まりカメムシ、いもち病の後は猪と
小泉君はそんな米農家の現状を知っているのだろうかと思う。
赤字覚悟で食糧米を作っていることを心に留めて欲しいものだ。
工場の仕事は一段落しており今週は車検の予約も無かった。
閑古鳥を呼び寄せる訳にも行かず同僚は待機を続ける。
私は月末の資金繰りに頭を悩ませていたが
新車が一台売れて納車が30日に決まっていた。
その日にお客さんは即金で車代を支払ってくれるのだそうだ。
もちろんディーラーに支払わねばならないが約ひと月の猶予がある。
義父と相談して先にその代金を月末の資金に充てることにした。
後は野となれ山となれである。金は天下の回り物とはよく云ったものだ。
来月は来月でまた苦しくなりそうだが
とにかく目の前の壁を突破することなのだろう。
買い物を済ませ4時前に帰宅。今日は鮪を買うことが出来た。
娘に「今夜はお刺身があるよ」と告げたら「やったあ」と喜ぶ。
夫には「丸干し鰯」であった。何と安上がりなことだろう。
それでも文句も云わず喜んで食べてくれるのが嬉しい。
「居候三杯目にはそっと出し」と云う諺があるが
私と夫は贅沢も云わずひっそりと暮らしているのであった。
随分と日が短くなったように思えたが窓の外はまだ薄っすらと明るい。
川向の山が見え黒い雲がたなびいている。
明日はどんな風に会えるのだろう。
生きてこその明日を待ち侘びている夜であった。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
坂道
物心ついた頃から犬が居て 真っ白い毛のスピッツだった
父も母も犬が好きだったのだろう スピッツは「ちょび」と呼ばれていた
昭和30年代のことだ 鎖に繋がれた犬は少なく ちょびは自由に走り回り 子供達と遊ぶのが好きだった
ある日の事「ちょび」を 洗濯籠に入れて坂道を滑らせた きっと無事に着地すると 誰もが信じていたのだが
「ちょび」は途中でひっくり返り とても痛そうに転げ落ちて行った
父と母にひどく叱られた 一緒に遊んでいただけなのに 「ちょび」は玩具じゃないよと云う
「ちょび」は家族だったのだ それなのにいつの間にか居なくなった
歳を取って死んでしまったらしいが その死顔さえ憶えていないのだった
坂道は今もある けれども何処にも「ちょび」は見えない
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