二十四節気の「処暑」暑さが少し和らぎ夏が退き始める頃。
空の雲や風にふっと秋を感じる頃である。
曇り空で蒸し暑い一日だったが猛暑日にはならず
何だかあれほど燃えていた空が鎮まったように感じた。
「これが秋の気配なのか」と心の中で呟く。
カーブス休暇どころではなく山里の職場に向かう。
事務所の扉を開くなり義父が蹲るように座っていた。
膝の痛みが酷く動くのがとても辛いのだそうだ。
湿布や痛み止めの薬はあるがまた下血があれば入院を強いられる。
それだけは避けなければならずひたすら我慢するしかない。
「十二指腸潰瘍」は慢性化しており痛み止め等の強い薬は危険であった。
湿布も同様で体内に薬が浸透するのである。
めったに弱音を吐かない義父だが今朝はすっかり弱り果てていた。
心配でならなかったが何の手立ても出来ないのである。
昨日一回目の出荷が終りどっと疲れが出たのに違いない。
稲刈りはまだ終わっていない。やがてまた次の出荷がやって来る。
つかの間でもゆっくりと休ませてやりたいものだ。
仕事は忙しく義父を訪ねて来るお客さんも多かった。
車検終了の車もあり義父が納車に行ってくれる。
そうなればもう弱音どころではなくなり元気そうに見えた。
「寝よるわけにはいかんぞ」と気丈に振舞うのである。
同僚は二台の車検整備を完了させほっと一息であったが
持病の腰痛が酷くリハビリに行けなかったことを嘆く。
無理をさせてしまったがおかげで仕事が捗り感謝しかない。
何が何でも今日の埋め合わせは必ずするつもりである。
週末になり一気に忙しかったが心地よい達成感であった。
明日はゆっくりと休み来週に備えようと思っている。
昔「処暑」と云う詩を書いたことがあったが
今朝もまた書いてしまった。似ているようで全く違う詩である。
それだけ私も成長したのだろうと思う。
言い換えれば歳を重ねた「年の功」かもしれなかった。
私が実ならもう熟しているのだろう。後は地面に落ちるだけである。
もう鳥に啄まれることもない。地に還るだけの運命だと思う。
※以下今朝の詩
処暑
退くことは去ることに似ているが 振り向きもせず潔くとはいかない
未練を残してはいけないが 後ろ髪を引かれる時がある
茅の穂には陽射しが降り注ぎ 熱を帯びた風が吹き抜けていく
夏がたとえば「きみ」ならば そろそろ別れの準備をしよう 開け広げた窓を閉めるように 僅かの隙間もゆるせはしない
真っ青な空に散らばる雲は 切なくもあり哀しくもある きみは何かを言い忘れたように 姿を風に変えようとするだろう
振り向けば夏であったが その背中にもう触れてはならない
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