ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年08月28日(木) こんちくしょう

晴れたり曇ったり。ほぼ猛暑日となり厳しい残暑であった。

山里ではつくつくと法師蝉がしきりに鳴く。

あちらこちらの田んぼから微かに藁の匂いがしていた。

稲刈りの早かった田んぼにはもう「孫生え」が見え始めている。

何と逞しく強い生命力なのだろう。流石にお米だなと思う。

昔食糧難だった頃には孫生えも食したのだそうだ。

実の入りは少ないがお米には違いなく貴重な食糧だったらしい。

今は伸びきらないうちに田起こしをするのが習いである。


10時頃から草刈りに出掛けた義父が2時になっても帰らず

熱中症で倒れているのではないかと心配でならなかった。

3時前にやっと帰って来たが空腹でもあったのだろう

酷く疲れ切った顔をしており余計に心配が募る。

あれもこれもとどれほど無理をしていることだろうか。

工場も忙しく義父の手が欲しかったがもう何も言えなかった。

例の大型車の部品が揃い修理を完了させなければいけない。

同僚は車検整備で手がいっぱいであった。

明日はもう金曜日である。間に合うだろうかと気掛かりでならない。


毎日があらあらと云う間に過ぎて行く。

少しでも丁寧にと思うがざっくばらんであった。

なるようになるだろうと見過ごしてしまうことも多い。

義父のおかげで月末の資金は整っているのだが

来月になればまたゼロから始めなければならなかった。

仕事さえあれば売上はあるはずなのだが思うようにはいかない。

即金のお客さんは僅かで殆どが売掛になっている現状である。

「野となれ山となれ」とお気楽ではいられないのだった。


仕事を終えてサニーマートへ行けば何とびっくり

大量に並んだ新秋刀魚にべったりと半額シールが貼ってあるのだ。

昨日の秋刀魚もおそらくそうして売り切ったのだろう。

今日も売れなかったのだ。庶民にはとても手が出ない高級魚である。

そんな秋刀魚を横目に鮮魚コーナーでうろうろしていたら

「蛸のお刺身」「生食用のベビーホタテ」も半額になっていた。

ラッキーと思い迷わず籠に入れたのは云うまでもない。

それにしてもお財布の何と寂しいことだろう。

昨日4個買った煙草は何とか明日の朝までありそうだった。

明日はまた買わなければならない。それが悔しくてならないのだった。

「こんちくしょう」と思う。全てのことが自業自得である。



今朝は「昭和シリーズ」は書けず何だか暗い詩になってしまった。

ああ嫌だなと思う。それでも発信せずにはいられない。

「やなせたかし」のような詩を書きたいと思うが無理だろうか。

似たような詩を書けば「真似」になってしまうだろう。

やなせたかしの詩は心が純粋だからこそ書けたのだと思う。

私は不純である。まずは認められたい欲が強過ぎる。

そんな欲を手放さない限り心に響く詩は書けないのだと思う。


今日が終われば明日がある。それもいつまで続くのか定かではない。

毎日を最後に思えるような心からの詩を書きたいものだ。


※以下今朝の詩


    階段

 昭和はこども
 平成は母おや
 令和は婆さん

 よく生きたものだと
 感慨深く思うのだった

 こどもの頃には
 はやくおとなになりたかった
 しかしその階段の辛かったこと
 転び落ちて傷だらけになったり
 罪のようにひとを傷つけもした

 父が死に母も死んだ
 次は私が死ぬのだろう

 花は枯れ朽ちて尽きるが
 また季節が巡り来れば
 花として咲くことが出来る

 そんな花のように生きたいが
 種も実もなんと儚いことだろう

 急いではならないゆっくりと
 階段をのぼり続けている

 やがて天に辿り着くだろう
 そこは光に満ちていて
 もう哀しむこともない

 一歩進めば天が近くなる
 息を確かめながら生きるしかない


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