ずいぶんと日が短くなった。これも秋の兆しだろうか。
西の空にか細く折れてしまいそうな三日月が見えている。
そろそろ秋の虫たちが鳴き始める頃でもあった。
ずっと一晩中彼らは朝陽が射し始めるまで鳴き続けるのである。
朝の山道から鉄砲百合が姿を消した。
枯れても折れることはないと思っていたが草に埋もれたのだろう。
代わりにススキの若い穂が見え始めゆうらゆうらと風に揺れている。
景色が少しずつ夏から秋へと変わろうとしているようだ。
職場に着くなり籾摺り機の音が響いていた。
先日の稲刈りで乾燥機は満タンになっており義父は今日も忙しい。
また明日稲刈りをするのだそうで乾燥機を空けなければならない。
義父の段取りではなく友人達が決めたらしく振り回されている。
しかし手伝ってくれるおかげで成り立っているのだった。
今日は5トンの玄米が出来る。また直ぐに出荷しなければならない。
30キロの小袋ではなく大きな一トン袋に入れるので
手間が掛からず作業はずいぶんと楽なのだそうだ。
それでも付きっきりの作業なので義父もしんどそうに見えた。
おまけに昨夜から入れ歯の調子が悪く歯茎が腫れているようだった。
食事もまともに食べられず今朝はお粥で我慢したらしい。
歯医者さんに行けば入れ歯を削ってくれて楽になるとのこと。
何とか時間を作って行くようにすすめたが素直に頷かない。
お粥さんでは体力が持たないこと、明日は稲刈りで忙しいこと。
こんこんと言って聞かせたらやっと行く気になってくれたのだった。
時間を惜しむよりも自分の身体を一番に守らなければならない。
無理をして倒れるようなことになれば元も子もないのである。
同僚は午前中に車検整備を終わらせ大型車の修理に取り掛かっていた。
明日も休まず出勤してくれるとのことで大助かりであった。
ホワイトボードの土曜日の予定に「がんばれ」と書き残し帰路に就く。
月曜日の朝には何としても納車しなければならない。
義父の手助けが無くてもきっと遣り遂げてくれるだろう。
帰宅して茶の間で横になっていたら珍しくあやちゃんが入って来て
「おばあちゃん餃子が食べたい」と言ってくれたのだった。
きっとテレパシーが通じたのだろう今日は餃子を買って来ていた。
「やったあ」と喜ぶあやちゃんに何だか目頭が熱くなる。
顔も合わさない会話もない日が何日続いたことだろうか。
娘達と同居を始めて昨日で11年が経った。
娘は大きなお腹を抱えあやちゃんはまだ2歳の幼子であった。
懐かしさはもちろんのこと感慨深く思うばかりである。
事あるごとに娘は「いつまでも居ないから」と言っていた。
私も夫も心構えをしもう十分に覚悟は出来ているつもりである。
しかしいつまで経っても出て行く気配がないのだった。
あやちゃんのこともあり今の環境を守りたいのかもしれない。
娘は何も言ってはくれない。それで安心とは思えない複雑な心境である。
ひとつ屋根の下に暮らす家族のようで家族ではないのかもしれない。
ただめいちゃんだけは「家族の絵」を描いてくれて
真っ先に「おじいちゃん」「おばあちゃん」があった。
我が家で生まれ育っためいちゃんももう直ぐ11歳になろうとしている。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
花子
校庭の隅に大きな檻があり 「花子」と云う名の猿がいた
子供達が近づくと嬉しいのだろうか きいきいと啼いてはしゃぎまわる 可愛らしい猿であったがやんちゃで 時々檻から脱走しみんなを困らせた
「花子が脱走したけん外に出ないように」 先生にそう云われても気になってしょうがない
私は外に出てしまった 走り回る花子を見てみたかったのだ
花子がまっしぐらに駆け寄って来る 私は追い詰められて太腿を噛まれた 血がいっぱい出て大声で泣きじゃくる
花子は先生達に捕えられ また檻の中に入れられてしまった ほんとうは山に帰りたかったのだろう 逃がしてやれば良かったのにと思う 独りぼっちの花子が可哀想でならない
噛まれても花子が怖いとは思えなかった 檻に近づくと目をくりくりさせて 私と見つめ合うこともあったのだ
太腿の傷跡はいまもある 花子はもう死んでしまったのだろうか
野山を自由に駆けさせてやりたかった
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