残り少ない8月を焼き尽くすような暑さ。
夏雲に支配された空からは熱を帯びた風が吹いていた。
全国的にも厳しい猛暑となり三重や埼玉では40℃を超えていたようだ。
とても屋外では過ごせない危険な暑さである。
9月になればと期待せずにはいられないがまだまだ残暑が続きそうだ。
我が家のブロック塀に寄り添うように一輪の黄花コスモスが咲いていたのだが
今朝見るとすっかり枯れており無残な姿となっていた。
犯人は夫で一昨日に除草剤を散布していたらしい。
草引きをして花だけ残すことなど考えもしなかったのだろう。
夫を責めても仕方なく草引きをしなかった私が悪いのだと思う。
しゃがんで作業をすることが出来ない。草一つ引くことが出来ない。
それが悔しく情けなくてならない朝のことであった。

朝のうちにカーブスへ行き心地よく身体を動かして来た。
汗が滴り落ちる。髪の毛は洗ったかのようにびしょ濡れになる。
代謝が良い証拠だとコーチは云うが異常としか思えなかった。
いったいいつからこんなに汗っかきになってしまったのだろう。
昼食後はお昼寝体制に入ったがぐっすりとはいかない。
変な夢ばかり見て何度も目を覚ます。
得体の知れないモノに追い掛け回されるのだった。
逃げても逃げてもどうしようもなく酷く疲れを感じる。
もう寝るのはよそうと自室に籠ったのだが
エアコン無しでは5分と居られなかった。
もう節電どころではなくエアコンに頼るしかない。
8月の電気料は如何ほどだろうと気なってしょうがない。
室内でも熱中症になるのだそうだ。電気料は命と引き換えである。
娘達が夕食不要とのことで今夜は楽をさせてもらった。
「納涼花火大会」がありめいちゃんが浴衣を着て出掛けて行く。
ひまわり模様の浴衣がよく似合っており我が孫ながら可愛くてならない。
目に入れても痛くないと思うが目に入らないほど大きくなった。
四万十市の花火は毎年8月末に行われ正しく「納涼」であったが
夏の終りを彩る花火は何ともせつないものである。
昔、真っ白い花火を見たことがある。
恋をしていたのだろう。涙がほろほろと流れたのだった。
「あのひとに見せてやりたい」もう二度と帰っては来ない夏のことである。
三日月が少しふっくらとしてまるで一切れのオレンジのようだ。
その一切れに手が届かない。そんな当たり前のことが切ない。
花火は一瞬の輝きであり夜空に弾けるとぱらぱらと音を立てながら
あっけなく消えていくのであった。
※以下今朝の詩
秒針
休みたくても休めない ひたすら時を刻み続ける
泣きたくても泣けない 涙で濡らしてしまうから
ぐるぐると同じ処を もう何度目の朝だろうか 春夏秋冬と季節を知らせ 目覚める人を待っていた
雨の朝はすこしせつない 胸がちくたくと痛む ぎゅうっと締め付けられ 息のままに時を知らせた
どんな一日が待っているのか 進んでみないと何も分からない
かなしいことがありませんように つらいことががありませんように 祈り願いながらの日々であった
たとえ壊れてしまっても まるで永遠であるかのように あたらしい朝がやって来る
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