2025年08月31日(日) |
下手な鉄砲も数撃ちゃ当たる |
立春から数えて「二百十日」もうそんなに経ったのかと思う。
春を待ち侘びていたはずだが今は秋を待ち侘びている。
昔から台風シーズンであったが今年は気配すらなかった。
その代わりにゲリラ豪雨と厳しい猛暑が続いている。
今日も名古屋は40℃と信じられないような危険な暑さだったようだ。
9月の声を聞けばと期待ばかりでこの暑さは10月まで続くらしい。
テレビは「24時間テレビ」で見たり見なかったりする。
昨夜は黒柳徹子の青春期のドラマがあり録画してあった。
朝ドラ「チョっちゃん」の続編のように思え見応えがある。
徹子ちゃんが何かを始めようとする度に母親が「いいんじゃない」と云う。
その言葉がとても印象的であった。子供の未来を信じているのである。
好きな道を歩ませてやりたい親ならばそうあるべきだろう。

今朝は思いがけずにとても嬉しいことがあった。
先に朝刊を読んでいた夫が「今週も名前はないぞ」と云ったのだった。
もうずっと長いこと続いており私もすっかり諦めていた。
いったいいつまで踏みにじられるのだろうと嘆くばかりである。
しかしこの目で敗北を確かめなければ気が済まない。
夫は苦笑いをしながら「駄目なもんは駄目じゃ」と云い放つ。
おそるおそる文芸欄を開く。そうしたら短歌が二席に入選していたのだった。
夫はその他大勢の箇所しか見ておらず気づかなかったようである。
そればかりではなかった何と俳句も入選しているではないか。
一気に目の前が明るくなり胸に熱いものが込み上げて来る。
諦めずに投稿し続けた甲斐があった。やっと報われたのだと思う。
「励み」あってこそのことである。失望からは何も生まれない。
どん底に落ちてこそ見える光があったのだろう。
ようは諦めないことだ。これからも精進しようと心に誓った朝だった。
名もない日陰の身であることには変わりなく
今後もそうそう認められることはないのだと思う。
有頂天になってはならない。気を引き締めて歩んでいかなければ
落とし穴は必ずある。スランプだってきっとあるだろう。
あがき苦しみもがいてこそ貫くことが出来るのかもしれない。
そうして葉月が尽く。けれども私は決して尽きはしないのだ。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
鍵
閉じてしまえばそれまでのこと またいつだって開くことが出来る
鍵付きの日記帳であった だからと云って鍵を隠さない それはさりげなく置いておく
父は必ず見るだろう まるで罪を犯すように 開くその背中が目に浮かぶ
いつまでも少女ではいられない 花の蕾が開くとき微かに音がする その音を父に聴かせてやりたかった
恥じらいよりも誇りである 閉じ籠るよりも風に吹かれる そうしてすくっと前を向くこと
日常の何と儚いことだろう 哀しみは空に浮かぶ雲のようだ
父がおどおどしながら私の顔を見た 胸を張らねばならない夕暮れ時のこと
鍵はここに置いておく だからずっと私を見ていて
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