ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月01日(月) 黄金虫は金持ちだ

名ばかりの9月。爽やかな朝風も何処へやら

昨日よりも気温が上がり今日は猛暑日となった。

入道雲がいきり立っている空。陽射しは迷わずに降って来る。


早朝また川向のお客さんから着信があり「ゴーヤだと」嬉しい。

やっぱり思った通りに大好物のゴーヤだった。

出勤途中に立ち寄ると上半身裸でステテコ姿で待っていてくれる。

「ほーい」とビニール袋を助手席の窓から放り込んでくれた。

ゴーヤだけではなく白い茄子とオクラも入っている。

ゴーヤはきんぴらにすると美味しく白い茄子は豚肉と炒める。

オクラは肉巻きにすると孫達がいくらでも食べるのであった。

メニューが頭に浮かびるんるんしながら職場に向かう。

月曜日だけあって「これは幸先がいいぞ」とほくそ笑んでいた。

それにしても何と有難いことだろうか。



職場に着くなり例の大型車の納車である。

土曜日に同僚が頑張ってくれていて大助かりであった。

お客さんも喜んでくれて何とほっとしたことだろう。

同僚も嬉しかったのか機嫌よく直ぐに次の仕事に取り掛かってくれる。

車検は順調に予約が入っており閑古鳥が鳴くことはないだろう。

とにかく目の前のことを精一杯に取り組んでいかねばならない。


義父は土曜日に稲刈りをしたのだがまだ少しだけ残っているとのこと。

乾燥機がまた満杯になってしまい全て刈ることが出来なかったらしい。

そうなればまた荷造りである。工場には籾摺り機の音が鳴り響く。

大きな一トン袋が所狭しと工場を占領していて何屋さんなのかと思う。

近いうちにまた出荷であった。義父の機嫌も頗る良い。


経理はまたゼロからのスタートであったが仕事さえあればと思う。

小金をこつこつと貯めて「コガネムシ」になろうではないか。

いざとなれば義父が助けてくれるだろうが当てにしてはならない。

ここは何としても自分の采配で乗り越えて行こうと思っている。

やってやれないことはない。やる前から諦めてはいけない。


事務所の冷蔵庫に大きな鮪の切り身が入っていた。

土曜日に義父の友人が持って来てくれたのだそうだ。

入れ歯の具合も良くなり義父も食べられるようになったのだが

「全部やるから持って帰れ」と言ってくれたのだった。

鮪は寝かすほど美味しいそうで今日で3日目であったが

ぷりぷりとした赤身はとても美味しそうであった。

夫はもちろんんこと娘達も大喜びでたらふくご馳走になる。

食べながら義父の顔が目に浮かんだ。義父も食べたかったろうに。

男やもめの夕食を思う。今夜は何を食べたのだろうか。

せめて彼女が来てくれたらと思うが最近は遠ざかっているようだ。

私も話題にしないが義父も何も言わなかった。



午後7時40分、辺りはもうすっかり夜の帳が下りている。

ちょうど半分の月が夜空に輝いていてほっこりと心が和む。

天の国からも月が見えるだろうか。ふっと母の顔が目に浮かぶ夜であった。



※以下今朝の詩


     9月

 後姿が見えているけれど
 名残惜しそうに振り向く

 燃え尽きてしまうまで
 炎はあとどれくらいだろう
 見届けてやらなければ
 あまりにも憐れであった

 夏草の茂る野に一輪の
 黄花コスモスが咲いた
 それはちいさな秋である

 白装束の旅人が鈴を鳴らし
 峠道を一歩一歩と進んでいる
 里には刈り取られた稲株から
 孫生えの若い緑が生まれている

 夏の背が微かに震えているのを見た
 肩にそっと手を添えてやりたい
 思い残すことがあってはならないのだ

 振り向けば9月の風が吹き抜ける
 夏は何かを決心したかのように
 真っ青な空を真っ直ぐに見上げた









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