ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月02日(火) 明日かもしれない

夏があがいているような暑さでほぼ猛暑日となる。

風もなくただただ陽射しの一日であった。

ちいさな秋も諦めかけていたが国道から山道に入るなり

真紅の鶏頭の花が見事に咲いているのを見る。

ちょうど遍路石の傍らで毎年目にする光景であった。

かつて地元の人が植えていたのだろう。

草に埋もれることもなく綺麗に手入れをしている。

お遍路さんの心もきっと和むに違いない。


職場に着くなり今朝も籾摺り機の音が鳴り響いていた。

乾燥機の籾はあと一機となっておりもう少しである。

しかし「いもち病」のせいか屑米がとても多いのだそうだ。

それは30キロの小袋に詰めなくてはならず手間が掛かる。

もちろん食用にはならず鶏などの餌になるらしい。

一袋千円とか。僅かな金額であるが売れるに越したことはない。


午後は稲刈りに。とうとう早稲米の最後の収穫である。

3時間もあれば済むだろうと義父一人で出掛けたが

トラックで籾を運ばねばならず同僚が手伝うことになった。

工場の仕事が一段落しており何よりに思う。


私は記帳の仕事をしていたが頑張り過ぎたのか肩が重くなった。

首の後ろに痛みがありどうやら血圧が高くなっているらしい。

黒酢を飲んだりリポビタンも飲んでみたがしんどくてならない。

3時前に退社したが運転中に倒れるのではないかと不安になる。

もし意識が無くなったらどうなるのだろう。

そのまま死んでしまうかもしれないと怖くてならなかった。


何とか買い物を済ませ帰宅するなり安定剤を服用する。

そのまま5時前まで寝ていたが一向に楽にならない。

血圧は164と少し高めであったが普段とさほど変わらなかった。

神経質になっていたのだろう。とにかく肩の力を抜かなければと思う。


夕食後いつもの血圧の薬と鎮痛剤を服用しお風呂に入る。

血の巡りが良くなったのだろうやっと少し楽になっていた。

カーブスへ通い始めてから肩凝りとは無縁であったが

油断をし無理をし過ぎたのかもしれない。

まだ火曜日である。週末まで何としても乗り越えなければと思う。

夏は居座っており季節の変わり目とはまだ実感がないが

そろそろ夏の疲れが出始める頃なのだろう。

体調管理には十分気をつけなければならない。


幸いこうしていつものようにこれを記すことが出来ている。

日記中毒かもしれないが書けないことほど辛いことはなかった。

夜明け前の詩も同じくで大げさかもしれないが「命がけ」なのだった。

書いてこそ生きる。書けなければ死んだも同然に思える。


やがて死ぬのだ。それは明日かもしれない。

けれども一日一日を惜しむように私は生きている。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     放課後

 放課後になると
 まさひろ君がギターを弾いた
 NSPの歌がとても上手い

 「夕暮れ時はさびしくて」
 口ずさむと涙が出そうになる

 私はもう家に帰らなくてはならない
 買い物をして夕飯を作らなくては
 みんなとは違うのだなと思う

 まさひろ君が私の詩に曲をつけてくれた
 ちょっとNSPに似ていたけれど
 真似ではないとまさひろ君は胸を張る

 みんなで歌った私とまさひろ君の歌だ
 その時には絶対に忘れないと思ったのに
 おとなになるともう思い出せない
 ただギターの音だけが胸に残っている

 夕飯は何にしようかと焦って来る
 弟がお腹を空かして待っているだろう

 校門を出て振り向くとみんなの歌声が聴こえた
 「さようなら」なんて切ない歌なのだろう

 校舎の窓から夕陽が見えただろうか
 私は台所に立ちフライパンを揺すっていた




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