2025年09月05日(金) |
まぎる(邪魔になる) |
台風15号は未明に宿毛市に上陸したが
さほど荒れることもなく北上して行った。
静岡では竜巻があり被害があったとのこと気の毒でならない。
大きなトレーラーが横転する程の威力である。
竜巻の経験はないが何と怖ろしいことだろうか。
四万十川には濁流が流れる朝であった。
市内の雨は大したことはなかったが上流地域が大雨だったのだろう。
河口付近には全ての支流の水が流れ込むのである。
山道は特に荒れた様子もなくいつも通りの朝だった。
山里も平穏である。遅植えの稲もしっかりと立っている。
被害が全くなく不幸中の幸いに思う。
まだまだ9月いっぱいは台風の心配があるだろうが
このまま本格的な秋になればと願わずにいられない。

義父は今日も機嫌が良く朝のうちは草刈りに出掛けて行った。
水筒を持って行かなかったので気になっていたら
案の定暑さに参ったらしく10時過ぎには帰って来る。
それから籾摺りを始めたのだが思うように捗らない。
屑米の量が多くひっきりなしに袋詰めをしなければならなかった。
見兼ねて少しでも手助けをと思い屑米を袋に入れていたら
不自由な足が電気コードに引っ掛かり電源を落としてしまった。
義父に叱られ「まぎるけんどけ」(邪魔になるのでどけ)と怒鳴られる。
良かれと思ってしたことが何の役にも立たなかったのである。
若い頃から力持ちで30キロの袋も難なく持ち上げることが出来たが
足に力が入らず重い物が持てなくなったのが何とも嘆かわしい。
叱られればシュンとなりいつもより早く2時に退社した。
今週はしょっぱなから体調が悪かったせいか疲れも感じる。
無理の効かない身体になってしまったのだろう。
出来ていたことが出来なくなるのが一番の痛手であった。
帰宅して5時前まで寝ていた。とろりとろりと夢心地である。
夕食は今夜も娘が手際よく作ってくれて大助かりだった。
私はまた頂き物のゴーヤできんぴらを作った。
川向のお客さんが今朝も寄るようにと知らせてくれたのだ。
どうやら食べ切れないほどの「ゴーヤ祭り」になっているようである。
私は大好きなので毎日でも飽きない自信に満ちていた。
今朝はまた「昭和シリーズ」で二十歳の頃の詩を書いた。
毎朝書いているうちにいつまでも子供ではいられなくなる。
そうなれば決してほのぼのとはしていられず
傷口に触れるような詩になってしまうのだった。
大恋愛の末19歳で結婚したが僅か8ヶ月で終りを告げた。
私にとっては大きな罪となり生涯忘れられない出来事になる。
いったい私はどれ程の罪を抱えているのだろう。
死んでしまえば閻魔様に舌を抜かれるのに違いない。
書くことで赦されはしないがほんの少し救われるような気がする。
憎まれてはいても憎むことは決してなかった私の人生であった。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
はやみちゃん
二十歳の誕生日の夜 はやみちゃんが私の大好きな 手羽先の唐揚げを買って来てくれた
「好きやろ」って云って 私の喜ぶ顔が見たかったのだろう
転職したばかりの頃だった もうネクタイは結ばす 作業服を着て仕事に行く 泥だらけになって帰って来る 私は洗濯をするのが好きだった
辛い日もあった 夕食のおかずが気に入らず お皿を投げた夜もあった 仕事で嫌なことがあったのだろう 話してくれたら良いのにとおもう
わずか8ヶ月の暮らしであった 傷ついたことより傷つけたのだ はやみちゃんが仕事に行っている間に 私は着の身着のままで家を出た
逃げなくてはならない ただその一心の愚かな行為である
記憶は時に残酷で修復が出来ない けれども忘れてはならないことだ
はやみちゃんの笑顔ばかり思い出す 海辺のちいさな町で 彼は今も生きているだろうか
|