ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月07日(日) お涙頂戴

二十四節気の「白露」朝は少し涼しさを感じたが

まだまだ秋は遠いのだろう。

日中は36℃超えの猛暑日となり江川崎よりも暑かったようだ。

夏を追いやることはするまいと思う。潔く去る必要はない。

その背に触れたら何だか涙ぐんでいるように感じた。


祖父の命日であった。早いものでもう17回忌である。

何の供養もしてやれず祖父が憐れでならないが

母も一緒に居てきっと笑顔で暮らしていることだろう。


母の生まれた家は高い山の上にあり荒れた廃屋になっている。

もう誰も管理をする人が居ないのだった。

晩年の祖父母は町中に住むようになったが

母の弟である叔父の家であった。

叔父亡きあと叔母と長男のいとこが暮らしていたのだが

何とその叔母たちを母が追い出してしまったのである。

祖父が建てた家だったので叔母たちは逆らうことが出来なかったのだろう。

それにしても母の何と非道なことだろう。まるで鬼のように思える。

老いた両親の為とは云え叔母達が可哀想でならなかった。


その町の家に今は私の弟の長女である姪っ子夫婦が暮らしている。

そのまま荒らす訳には行かないと弟の判断であった。

しかし若い夫婦は祖父の遺品を悉く捨ててしまったのである。

衣類などは山の畑の中にそれは無造作に放られてあった。

あんまりなことだと思い弟に意見をしたのだが

弟も全く知らなかったそうでもう後のまつりとなってしまった。


町の家には仏間があり今も位牌を祀っている。

しかしおそらく埃だらけになって手を合わす人もいないだろう。

若夫婦を責めても仕方なく亡き母や私にも責任があった。

永代供養も出来たはずであるが何も出来なかったのだ。


祖父の命日を忘れず最後に会った日の笑顔を思い出している。

それが私に出来る精一杯の供養であった。



朝のうちに美容院へ行き髪を染めてもらった。

今までよりも少し明るめの色を選んだ。

少しでも若くとは思わない。ただ新鮮になりたかったのだ。

帰宅して鏡で髪ばかり見ていた。顔を見れば一気に幻滅である。

髪は女の命らしいが私の命もまんざらではないのだろう。

気分一新となりまた明日からも生きようと心に誓う。


昼食後はまた3時まで昼寝をしその後は自室で過ごしていた。

例の如くでSNSを見ていたら思いがけないことがあった。

今朝の私の詩をリポストしてくれている詩人さんがいたり

「この詩好き」と過大に評価してくれた若い人もいた。

自分では「お涙頂戴」みたいな詩だと思っていたのだが

伝わる人にはちゃんと伝わるのだなと大きな励みになった。

明日も「昭和シリーズ」が書けそうな気がして来る。

生きているうちに書き尽くしたくてならない。

毎日が最後だと思って書ければそれこそが本望に思える。


この老いた身にも微かな光が射す。

身の程を知り尽くしていてもその光ほど有難いことはなかった。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    川漁師

 二度目の結婚をした
 23歳の時である
 妊娠5ヶ月であった

 四万十川のほとりの
 川漁師の家に嫁いだ
 初冬のことで
 天然青海苔漁が始まっており
 私も手伝わねばならなかった

 会社勤めをしていた夫が
 無理をさせたくないと
 両親に話してくれたのだが
 姑さんはとても厳しく
 手伝うことを強いられた

 ずらりと干された青海苔を
 「手わき」と云って
 ほぐして行くのが仕事である

 西風と燦々と降り注ぐ陽射し
 青海苔は濃い緑色に変わり
 あらあらと云う間に乾くのである

 家に帰るとお風呂を焚く
 私は薪をくべるのが苦手で
 なかなか燃えてはくれなかった

 夫の帰りはいつも遅く
 両親と一緒に夕食を食べる
 お肉は食べられずいつも魚であった

 息が詰まりそうになる
 夫さえ居てくれたらとおもう
 おなかのこどもがぴくぴくと動き
 真っ先に夫に報せたかった

 やがて真冬になり雪が降る
 青海苔漁は休まなかった
 雪が降っていても干すのである
 強い西風に煽られそれは乾いていく
 何と不思議なことだろうと思った

 どれほどの歳月が流れたことか
 四万十川のほとりで
 私はゆっくりと歳を重ねている



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