ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月08日(月) ささやかな光

朝の涼しさもつかの間。日中は今日も厳しい猛暑となる。

もう慣れているはずなのだが身体には堪えるものだ。

おまけに寝冷えでもしたのだろうか頻りに鼻水が出ていた。


ゲリラ豪雨のニュースが流れる。今朝は福岡久留米と新潟。

今現在は東京、埼玉で激しい雨が降っているようだ。

10分もしないうちに道路が冠水する怖ろしさである。


先日の静岡の竜巻の被害も大きく何と無残なことだろう。

3日間も停電が続き今日やっと回復したのだそうだ。

とても他人事には思えず気の毒でならなかった。


一日たりとも災害の無い日が在りはしない。

平穏無事は決して当たり前のことではないのである。



仕事はゆっくりのスタートであった。

義父は葬儀に参列するため9時過ぎには出掛ける。

故人とは不仲であったが火葬場まで行かなければならない。

故人の奥さんから頼まれ断れなかったのだそうだ。

いくら不仲であっても義理は通す。義父らしい判断だと思う。


2時前に帰宅。それから大急ぎで市内のディーラーに向かった。

修理ではなかったが村のスクールバスにカメラを設置する為である。

私も一緒に行かねばならずバスの後を追って走ったが

義父の何と早いこと。高速道路を百キロのスピードで走るのだった。

とても高齢者とは思えない。まるで若者のような走りである。


バスを預け今度は別のディーラーへと向かう。

昨日義父がエーミングを依頼していた車が出来上がっていた。

今日中に納車しなければならず義父はまた山里へと飛ばして帰る。

「やれやれ」であったが義父のおかげで随分と助かった。


サニーマートで買い物を済ませ4時前に帰宅。

自室の温度は38℃にもなっており5分が限界であった。

今日も煙草を吸い過ぎてしまっていたのにまた吸う。

それが嫌でたまらないがどうしても火を点けてしまうのだった。

もううんざりである。この世から煙草が無くなれば良いのにと思う。


茶の間はエアコンが効いており涼しい。

ごろりと横になるなり5時前まで寝ていた。

自室のエアコンを点け10分だけSNSを見る。

昨日の私の詩が拡散されたらしく

今日になっても「いいね」が増えていてとても励みになった。

今までの最高であり身に余ることだと思う。


とある有名な詩人さんがコメントを残してくれていた。

私のような者にである。もったいなくて恐縮しかない。

「素敵」と云う言葉はあまり好きではないのだが

私の詩の何処が素敵なのだろうと真剣に思う。

ただ淡々と書いた詩のようなものをである。


日陰の身にもささやかな光であろうか。

私には相応しくないけれど有難く受け止めようと思った。

明日もきっと生きているだろう。いったいどんな詩を書くのだろうか。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


    秋の日

 昭和57年の秋
 夫の父が亡くなった
 末期の肺がんであり
 手の施しようがなかったのだ

 初孫である息子を可愛がり
 どれ程の愛情を注いでくれたことか
 死の間際にも孫に会いたがり
 3歳の息子に
 「じいちゃんはもういかんぞ」と
 告げるなり息を引き取ったのだった

 手を伸ばしたままであった
 最後に息子の頭を撫でたかったのだろう
 その手はまだ温かく確かに生きていた

 川海老が大漁だった日を思い出す
 なんと誇らしげな笑顔だったことか
 まさかそれが最後の漁になるとは
 誰も思ってなどいなかったのだ

 葬儀の日は真っ青な空から
 爽やかな風が吹き抜けていた
 四万十川も陽射しを浴び輝いている

 出棺の時息子が突然に駆け出し
 お棺に縋り付き大声で泣き叫んだ
 「おじいちゃんおじいちゃん」
 その声がこだまし風になっていく

 「おじいちゃんはどこにいくの」
 何処だろうと私は思った
 空ならばきっと見守ってくれるだろう
 孫の成長を楽しみに微笑んでくれる

 そうして秋が深まっていく
 四万十川にほうずき色の夕陽が落ちた


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