雨が降ったり止んだり。午後には雷を伴いけっこう強く降った。
各地で線状降水帯が発生しており冠水の被害が起きているようだ。
今朝は九州、夕方には東京都心が豪雨となり気の毒でならない。
昨今の雨の降り方は異常で昔のように「秋の長雨」とは行かないようである。
いつ何処で線状降水帯が発生するかも分からず不安がつのるばかりだった。
「明日かも知れない」常に心構えが必要に思う。
仕事はさほど忙しくなかったが鼻水が酷く辛い一日となる。
おまけに血圧も異常に高くなっており踏んだり蹴ったりであった。
慣れてはいてもやはり不安でならない。倒れたら一巻の終りである。
自覚症状が全く無いのも厄介なもので計測してから驚くことが多い。
近いうちに内科の通院を控えているのでよく診てもらおうと思っている。

義父は朝のうちに「加地子」(かじし)を届けに行く。
田んぼは全て借物なので「加地子」は小作料であった。
全部で10軒程だろうかそのお米の量の何と多いことだろう。
米作りを諦める農家が多く年々義父に矛先が向かって来るのだった。
私のような素人考えでは苦労は一切せずにいて
収穫した新米を貰える方がずっと良いように思う。
それを云えば義父に叱られるが義父が大損をしているように感じるのだった。
そうして自分の所有する田んぼが一切無いことが憐れに思えてならない。
2時まで待っていたが義父は帰らず整形外科へと向かった。
3時の予約であったが直ぐに名前を呼ばれ助かる。
療法士のU君の施術は今日も完璧で痛みが随分と楽になった。
彼の手は魔法の手だといつも思う。
買い物をして4時過ぎに帰宅。窓を閉め切っていた自室の蒸し暑いこと。
直ぐにエアコンを点けてまたSNSを見ていた。
今朝の詩は自分では好きだったが反響はイマイチである。
昭和シリーズのつもりであるが所詮は苦労話なのだろう。
年寄りの苦労話ほど嫌われるものはないと思う。
じゃあ明日からどうすれば良いのだろうと途方に暮れるのであった。
書きたいことを書けるものを書くしかないだろう。
そう思ってもそろそろ限界なのかもしれない。
もしかしたら全く書けなくなってしまう可能性もある。
そうなればもう死ぬしかないとさえ思うのであった。
明日はあしたの風が吹くらしい。
雨が降っていたら私も雨になればいい。
ずぶ濡れになってもきっと風が味方になってくれるだろう。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
青さ海苔 家業には後継者が必要であった 夫が決心したのは30歳の時である
しばらくは退職金で暮らしていたが それも底を尽いてしまったのだ
幼い子供ふたりを抱え 貧乏のどん底に陥ってしまった
真冬から早春にかけての家業は 「青さ海苔の養殖業」である 自然相手のことで困難も多い 夫と母は毎日休まず漁に出ていた
3歳の息子は土手から土筆を採って来る まるで宝物を見つけたように微笑んでいた
1歳の娘はよく眠る子で 私の背中ですやすやと寝息を立て始める 泣いてぐずることをしなかったのだ おかげでどれほど助かったことだろう
大漁の日が続けば希望が湧いてくる 洗った海苔を「えびら」に広げ天日干しをした 陽射しを受けて輝く海苔は宝石のようであった
夫は日に日に逞しくなっていく 青白かった顔も川漁師の顔になった
四万十川に夕陽が沈む やがて一番星が見え始めると 肩の力が抜けるようにほっとしたものだ
時代は令和となり青さ海苔は絶滅となった
|