ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月15日(月) あと20年

晴れのち曇り。午後には雷雨予報だったが降らずに済んだ。

9月も中旬だと云うのに全国の28地点で猛暑日だったとのこと。

江川崎も含まれており36℃を超えていたようだ。

今週末には彼岸の入りである。せめて朝晩だけでもと涼しさを願う。


「敬老の日」であったが私達夫婦にはまだ少し早いようで

地区の「敬老祝い」は75歳からであった。

お赤飯もしくは商品券を配るのが習わしである。

高齢者の多い地区のことで今日は笑顔の一日になったことだろう。


夫はまだ咳が続いており本調子ではない様子だったが

食欲はあるようでお昼には「ところてん」を食べた。

高知のところてんは鰹出汁のつゆを掛けて食べるのが一般的で

全国でも珍しい食べ方のようである。

私は冷凍炒飯をこじゃんと食べてお腹がいっぱいになっていた。

らっきょうも食べられるようになりすっかり本調子である。


午前中に2時間、午後は4時間も寝て我ながらよく寝ること。

夢に姑さんが出て来て気になったがお線香を上げには行かなかった。

「敬老の日」には菓子折りを届けていたので思い出したのだろう。

折り合いの良くなかった姑さんであるが夢の中ではいつも笑顔である。


大相撲を観ながら娘と夕食の支度をする。

娘がお素麺を湯がいてくれて私は鰹のタタキを作った。

夫はビールを飲み始めて大相撲に釘付けである。

まるで平和を絵に描いたような夕暮れ時であった。

そんな絵を塗りつぶしたくないと誰だって願うのに違いない。


今朝は百歳の詩を書いた。目標は88歳の米寿であったが

あと20年足らずだと思えば何と儚いことだろう。

日々をひたすら織り続けているが糸が足らなくなるかもしれない。

若い頃の20年と老いてからの20年は雲泥の差に思える。

若い頃なら好きな色の糸を買い求めることも出来るが

今となっては手元に残った糸を使い切らなければならない。

そうして一枚の布に仕上げていくのが私の使命だと思っている。

穴が開いていれば繕わなければならない。

みずぼらしい最期であってはならないと苦労を惜しまないのであった。


一日が終われば一日が縮む。織り進む布をそっと広げて見れば

もう十分に生きたようにも思えるこの頃であった。


※以下今朝の詩


     百歳

 「百まで生きたらいいだろな」
 敬老会で園児たちが歌ってくれた
 あやちゃんとめいちゃんの声もする

 その頃の私は長生きをすることより
 ぽっくり死ぬことばかり考えていた

 ある日突然の死ほど不安なことはなく
 何ひとつ心構えが出来ないのだった

 身体から魂がすうっと抜けていく
 いったいどんな感覚なのだろう
 戻りたくても戻れないことは
 生きたくても生きられないこと

 春だろうか秋だろうかとおもう
 桜の花が溢れんばかりに咲いて
 秋桜が風に揺れているのがいい

 「おばあちゃーん」と声がする
 その時にこそ振り向かねばならない

 百を数えるのはむつかしい
 途中で間違えてしまいそうだ

 もう十分に生きたのかもしれない
 記憶の波が押し寄せて来て
 足元の砂がすうっと引いていく




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