薄日が射していたが山里ではにわか雨が降る。
暑さが和らぎずいぶんと涼しさを感じた。
全国的にも猛暑日となった地域はなく
一気に秋らしくなったようである。
暑さ寒さも彼岸までとはよく云ったものだ。
そんな季節を知っているのだろう彼岸花が咲き始める。
田んぼの畦道に多く咲き何とも鮮やかであった。
「死人花」とも呼ばれ血のように紅い花であるが
根に毒があり昔から「モグラ除け」として植えられていたようだ。
私は子供の頃から怖くてならず未だ触れたことがない。
それは祖母からの教えで大人になっても忘れることが出来なかった。
しかし祖母が死んだ日に見た「紅い道」は心に焼き付いたように目に浮かぶ。

昨夜は安定剤を服用し8時にはもう床に就いていたが
熟睡したにも関わらず今朝も血圧が下がってはいなかった。
170を超えると流石に怖ろしくまた安定剤を服用する。
そうしてしばらくしてから計測したら少しだけ下がっていた。
夫からは神経質になり過ぎだと叱られどうしようもない。
もっと大らかな気持ちでのほほんとしているべきなのだろう。
気にし過ぎると血圧は上がる。それは精神的なものであった。
仕事は忙しくもう血圧どころではない。
義父が精力的に動いてくれて全てのことが順調であった。
一日車検も入庫しており3時には整備が完了する。
明日の予約のお客さんも早めに来てくれて受け入れも済んだ。
義父が「明日は休めるぞ」と云ってくれて何とほっとしたことだろう。
自分では仕事のつもりで覚悟を決めていたのだった。
残業になり帰宅が遅くなってしまったが心地よい達成感である。
娘に夕食の買い物を頼んであったらあれこれと買って来てくれていた。
しかし娘も風邪気味となり鼻水が止まらなくなっている。
元を正せば私の風邪であるが感染力の強さに驚くばかりであった。
たかが風邪ではなかったのだ。孫達にまで及ばなければ良いがと願う。
今朝は久しぶりに「昭和シリーズ」の詩が書けた。
幼馴染の「まやちゃん」の詩である。
しかしこれも書こうと思って書いた詩ではなかった。
ただ何となくまやちゃんを思い出したのだった。
書いてしまえば懐かしくてならず会いたいものだなと思う。
60年の歳月が流れた。まやちゃんは元気にしているだろうか。
私のことを忘れずにいてくれたらそれだけで十分に思う。
思い出は一生残るが再会は叶わないのが世の常なのかもしれない。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
みつあみ
まやちゃんの髪は長くて いつもみつあみにしていた 毎朝お母さんが編んでくれるようだ
くりくりっとした瞳に長い髪 まやちゃんはお人形さんみたいに 可愛らしくてたまらない
私はいつもおかっぱあたま ちびまる子ちゃんみたいだ 刈り上げにしていたから 首筋のあたりがすうすうする
夜になったらまやちゃんは みつあみをほどくのだろう くるくるっとなっているのか 一度見てみたいなと思った
「おはよう」の朝が来る まやちゃんと一緒に学校へ行く みつあみに小さなリボンをしてあり 何だか自分のことのように嬉しい
みつあみが揺れている スキップをしているようだった
まやちゃんはお人形さん 私はこけしみたいな朝のこと
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