「彼岸の入り」曇り空で暑さは和らいでいた。
おそらくもう猛暑日になることはないと思うが
夏の名残は10月まで続くようである。
今朝も血圧が下がってはいなかったが
あまり気にせずに大らかに過ごすことにした。
夫のように全く気にしないのも考えものだが
神経質になるとよけいに高くなるのだろう。
二週間ぶりのカーブスは頑張ることをしなかった。
軽く筋トレをしストレッチをしただけである。
汗も殆どかかなかったがまあ良いかなと思い帰って来る。
少し左肩が痛む。ついに上半身まで弱ってしまったのだろうか。
昼食に久しぶりに「塩ラーメン」を食べた。
それも秋の兆しである。もう冷やし中華の季節は終わったようだ。
午後はひたすら寝て過ごし目覚めればもう4時である。
「洗濯物が乾いちょったぞ」と夫が取り入れてくれていた。
娘は微熱が出ており咳も酷く辛そうである。
今日はPTAのリサイクルごみの回収があり無理をしたようだ。
風邪薬を飲むように勧めたが使用期限が過ぎていた。
どうしても嫌だと云って聞かず飲まず仕舞となる。
娘の体調が悪いと火が消えたような我が家であった。
今朝も「昭和シリーズ」の詩が書けたのだが
SNSでは不評でいささかショックであった。
自分では書きたいことを書けたつもりだったので尚更である。
それこそが自己満足に他ならない。
母に捨てられた可哀想な少女である。
しかしそれも結局は「お涙頂戴」なのだと思う。
これは今後も教訓にしなければならないが
私は自分が可哀想でならないのである。
同時に未だに母を赦せずにいる愚かな娘であった。
書いて浄化するならばいくらでも書こうと思う。
しかしそこにはいつも「殻」のようなものがあり
その殻を打ち破らなければ本物の詩が書けないような気がする。
そうしてそれが死ぬまでの目標となれば立ち向かうしかない。
死んでも死にきれないと云っても過言ではないだろう。
ならば生きてとことん尽き果てねばならない。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
くろねこのタンゴ
確かにこどもであった頃 嬉しかったこと 悲しかったこと 時が経てば全てが思い出になる
初めて買って貰ったレコードは 「くろねこのタンゴ」であった 嬉しくって何度も何度も聴いた
まだ誕生日には早かったのに 「もうすぐだから」と母は云う 私が口ずさむと母も微笑みながら 一緒に歌っってくれて楽しかった
13歳の誕生日の朝である とても寒い冬の朝のことだった ストーブが点いていなくて 部屋はしんしんと冷え込んでいた
「おかあさん」と何度呼んだことだろう 家の外を探しても母は何処にも居なかった
泣いてはならない ぎゅっと歯を食いしばって耐えた
母はもう決めていたのだろう どうしてもその日でなくてはならない
「くろねこのタンゴ」が聴けない 私はもう歌えないこどもになっていた
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