ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月21日(日) 心のスイッチ

今朝は涼しさを感じたがそれもつかの間のことだった。

日中は真夏日となりまだまだ厳しい残暑である。

隣町の宿毛市では33℃を超えていたようだ。

山里もおそらく暑かったことだろう。


血圧は変わらず今朝も160を越えていたがもう気にしないことにした。

自覚症状は全くなく元気そのものである。

おや?と気づいたのは先日からの難聴でどうやら治ったらしい。

電子レンジの音が聴こえ換気扇の音も聴こえるようになっていた。

どれもこれも神経質に考え過ぎていたのかもしれない。


昨日の寝溜のせいだろうか昨夜は熟睡出来ず辛かった。

隣のベットで寝ている夫の手を確かに握ったのだが

それも夢だったらしくうなされていたようだった。

もうこりごりと今日はなるべく寝ないようにする。

とにかく横になってはいけない。かと云って自室で過ごしていると

煙草ばかり吸ってしまいそれにも嫌気が差して来る。

いったいどうすれば良いのだろうと途方に暮れるのであった。


とうとう昼食後には一時間程寝てしまう。

そうしてまた自室で過ごすと煙草三昧になってしまうのである。

机の上には読みかけの詩集が山積みになっているのだが

どうしても読む気にならず困ったものである。

心のスイッチが何らかの原因で壊れているようであった。


夕食はカレーの予定だったので早目に作ることにした。

いつもなら娘が作ってくれるのだがまだ体調が思わしくない。

幸い熱は下がったようだが咳が辛いようだった。

「よっし、作るぞ」と気合を入れて台所に立つ。

じゃが芋の皮を剥き玉葱を刻んだ。

以前は甘口と辛口の両方を作っていたのだが

孫達が中辛を食べられるようになり大いに助かる。

家中にカレーの匂いが漂い美味しそうなカレーが出来た。

「鰹のタタキ」も作りもう準備万端である。


夫は風邪の名残で胃の調子が悪かったがカレーは大好物である。

何よりもあやちゃんが喜んで食べてくれたのが嬉しかった。

頑張って作った甲斐がある。今日は「カレー日和」になった。



今朝も「昭和シリーズ」の詩を書いたが

SNSでは不評でダブルパンチを食らう。

原因は分っておりやはり「お涙頂戴」なのである。

幼い頃の詩は微笑ましいかもしれないが少女時代となるとそうは行かない。

だからと云って嘘は書けずありのままの記憶を辿るしかなかった。

母を恨み続けた日々をどうして忘れることが出来ようか。

母の命日を直前に控えこれだけは書いておきたい詩だったのだと思う。

書き終えてから母の遺影に手を合わせたのは云うまでもない。

母を心から赦すことは私の永遠の課題なのだろう。


今日は母が死んだ2年前の9月の詩を読み返していた。

そこには母に対する恨みなど少しも書かれてはいなかったのだ。

「ばいばいまたね」母の最期の言葉である。


※以下今朝の詩(昭和シリーズより)


     手紙

 学校に母からの手紙が届く
 先生は手渡しすることをせず
 職員室へ来るようにと云う

 私はそれが嫌でたまらない
 「特別」だと思われている
 先生たちの目が怖かったのだ

 母はいったい何を書いていたのか
 手紙の内容は全く記憶になかった

 母に返事を書いた記憶もない
 だからと云って
 破り捨てた記憶もないのである

 父に見つかったら叱られる
 そればかりを思っていたのだろう
 一番憐れなのは父なのに違いない
 大きな背中が震えているように見えた

 母は罪を背負い生きているのか
 それでいて愛情を込めようとする

 ゆるすものかと私は思った

 父の運命を大きく変え
 私も運命の歯車に巻き込まれた
 どれほどの傷なのか母は知らない

 そんな母をどうして赦せようか
 半世紀以上の歳月が流れ
 母はもうこの世には存在しない

 手紙はもう届かないのだ

 私は未だに母を赦せずにいる



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