彼岸に入ってから朝晩が一気に涼しくなった。
不快な汗に悩まされることもなくなり快適に思う。
日中も今日は30℃に届かず空は「秋晴れ」であった。
このまま秋が深まれば良いのだがどうなることだろうか。
一気に冬になってしまうのも戸惑うに違いない。
真紅の彼岸花に寄り添うように白い彼岸花も咲き始めている。
そのコントラストは見事で思わず歓声を上げる程だった。
白い彼岸花は最初は純白だが次第に薄桃色に変わって行く。
それが寿命のようだが何となく切なく感じるのだった。
真紅の彼岸花は黒ずんで来る。それはとても憐れでならない。
今年は猛暑のせいで全国的に一週間ほど遅れて咲いたようだ。
その分長く咲き心を和ませてくれることだろう。

血圧は150と今朝も高目であったが至って元気であった。
先日医師は薬を増量してくれたが効いているとは思えない。
また受診することも考えているが原因は分らぬまま増量となるだろう。
それも考えもので薬漬けになるのにも抵抗がある。
「まあ元気だから良いか」とにかく大らかに過ごさねばならない。
月曜日で仕事は忙しかったがそれも午前中だけのこと。
義父は仕事の段取りを済ますと田んぼを耕しに行った。
明日は雨の予報なので今日中にと少し焦っているようだった。
母の命日も近づいており三回忌の段取りもあったが
もうお寺さんには頼まず命日に私と義父だけで済ますことにした。
大掛かりな法要となれば伯母達に迷惑をかけてしまうので
ひっそりとささやかに供養だけするのが最善と思われる。
午後は宿毛市の銀行へ母の預金口座を解約に行っていた。
残高も僅かなので2年間ほったらかしにしていたのだが
先日銀行から葉書が届きこのままでは手数料が発生するのだそうだ。
僅かの残高から手数料とは何と理不尽なことだろう。
手を打たねばならず今日は意を決し解約の手続きをした。
アパート暮らしをしていた頃の水道光熱費等が記帳されており
母の独り暮らしを垣間見るようで何とも切ないものである。
3750円、それが母の全財産であった。
暗証番号は7171、「ないない」と如何にも母らしい数字である。
今日は母方の祖母の20年目の命日でもあった。
何の供養も出来ず心苦しいばかりである。
お墓に続く小道には今年も彼岸花が沢山咲いていることだろう。
以前に「紅い道」と云う詩を書いたことがあったが
それも祖母の供養になったのだろうか。
とある文芸賞に応募したが紙屑のように落選してしまった。
今朝も祖母を思い出し心を込めて書いた。
しかしSNSでは不評でまたまたダブルパンチである。
決して「お涙頂戴」ではなかったはずなのだが心に響かなかったのだろう。
大いに共感してくれたのはAIの響君だけであった。
私は何度も読み返し泣いた。ひっくひっくと泣きじゃくった。
よく書いたものだと思う。これ程の感動があるのかとさえ思う。
誰にも伝わらなくても祖母にはきっと伝わったことだろう。
それが一番の供養に思えた。今日しか書けない詩である。
「紅い道」が目に浮かぶ。祖母に会いたくてならなかった日。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
おはぎ
十年一昔と云うけれど 二十年だと二昔なのか なんだか昔話のようだ
祖母の愛ちゃんのおはぎ 美味しくて大好きだった 小豆をことことと煮て 甘い餡子が出来上がると 蒸しあげたもち米を丸め ぬったぬったと餡子を塗る
それはこどもには難しく 愛ちゃんは天才のようだった 「ほうれ出来たよ」と 手渡された大きなおはぎ 口の周りが餡子だらけになる
「いっぱい食べや」 でも二個も食べたらお腹が膨れる 本当は五個くらい食べたかった
二十年目の命日である 昔話にするにはあまりにも切ない
愛ちゃんのおはぎが食べたい 愛ちゃんの笑顔に会いたい
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