ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月23日(火) 秋分の雨

夜明け前にはぽつぽつだった雨がしとしとに変わり

如何にも秋らしい雨の一日となった。

気温も一気に涼しくなり随分と過ごし易い。

エアコンはもちろんのこと扇風機も不要であった。


彼岸の中日、「秋分の日」でもあり次第に夜が長くなる。

秋の夜長を愉しむような余裕はないが

この日記を書けるだけで幸せだと思う。

あと何度秋が訪れるのだろう。まさか今年が最後ではあるまい。


お墓参りに行くでもなくだらだらと怠惰に過ごす。

娘が仕事だったのでめいちゃんが買い物に付き合ってくれた。

私が食料品を買っている間にセリアで買い物をする。

お財布が入ったバックを首からぶら下げ何と頼もしいことだろう。

重い荷物も提げてくれて車まで運んでくれて大助かりだった。

以前はよく一緒のことが多かったが最近では滅多にないことである。

それだけ成長したのだろう。もう11歳の少女であった。


今日も寝ないでいようと思っていたが午後は睡魔に負ける。

夫と録画してあった「ポツンと一軒家」を見ていたのだが

いつのまにか寝てしまい目覚めればもう3時である。

夫は大相撲を見ていたが私は自室で過ごすことにした。

そうなればまた煙草である。ひっきりなしに火を点けてしまう。

これはれっきとした依存症で病と云っても過言ではないだろう。

悔しくて情けなくてならないがどうすることも出来なかった。

血圧が高いのも煙草が原因かもしれず自業自得しか云いようがない。


夕飯はめいちゃんのリクエストで「しゃぶしゃぶ」だった。

娘の体調も良くなっており下準備をしてくれる。

カセットコンロを出せば如何にも秋の夜らしい。

これからは鍋調理も多くなることだろう。

家族みんなで鍋を囲むことはないが夫と二人鍋も良い物である。



今朝も夜明け前に詩を書いたが「昭和シリーズ」は敢えて書かず。

静かな雨音を聴きながら書きたいように書いてみた。

なんだか自分の言葉に酔っているとしか思えない。

自分は感動しても誰にも伝わらない「曲者」であった。

けれども心は満たされる。自分らしさとはそうでなければならない。

満たされないのなら書く意味など無いに等しい。


雨は降り止まず今もしとしとと降っている。

秋の雨は切なくもあるが不思議と心が癒されるようだ。


※以下今朝の詩


      秋分

 ぽつぽつと小雨が降っている
 ひび割れた空から滲むように
 それは落ちなくてはならない

 彼岸と此岸の真っ只中にいて
 亡き人たちは彷徨うのだろう
 あちら側の夢やまぼろし
 こちら側の現とかなしみ

 生きて在ればこそと思うが
 引き裂かれるような痛みがある

 夏の背が遠ざかっていく
 いったい何と声を掛けよう

 秋が深まっていく
 もうどうしようも出来ない


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