雨の予報だったが日中は全く降らず夕方から本格的に降り始めた。
気温の割に湿度が高いのだろうじめじめとした蒸し暑さを感じる。
もう汗はかかないだろうと思っていたがそうは行かなかった。
朝の山道を行けばイガ栗があちらこちらに落ちている。
拾う人もいないのだろう車に轢かれてしまうばかりだった。
栗を見れば祖父を思い出し荒れ果てているだろう栗山を思う。
毎年栗を送ってくれたのはもう随分と昔のことになった。
私は栗の皮を剥くのが苦手で半分に切ってスプーンで食べていた。
それも茹でたばかりだと柔らかいが冷えると固くなってしまう。
一度に20個くらい食べたこともある。それも遠い思い出となった。

毎朝職場に着くなりパソコンの電源を入れるのだが
今朝はどうした訳か電源が入らず大いに焦る。
コンセントを抜いたり差したりしても起動する気配がない。
困り果ててシステムサポートのO君に電話をしたら
午前中に様子を見に来てくれることになった。
とにかく待とうと思いつつもしやと停電時のバッテリーをいじってみた。
そうしたらまるで奇跡のように電源が入りパソコンが起動したのである。
知識はなく機器には疎いが何でもやってみるものだなと思う。
おかげで急ぎの事務仕事は午前中に片付きほっと肩の荷を下ろす。
高齢のお客さんから電話があり異音がするとのこと。
義父が直ぐに対応してくれて何と助かったことだろう。
異音の原因を調べるのは義父の最も得意とするところである。
早速に部品の手配をし明日には直りそうだった。
他にも大型車の車検が入庫しており不具合の部品も手配してくれる。
義父でなくては出来ない仕事が沢山あるのだった。
しかし同僚や私を振り回すのが玉に瑕である。
口煩いのも今に始まったことではないが精神的にかなり疲れるのだった。
3時までに整形外科に行かねばならず逃げるように帰路に就く。
今日はリハビリ後に診察もあり待ち時間の何と長いこと。
医師はいつも親身になってくれるが今日も「手術」の話だった。
「10年は持たんぞ」と云う。私は笑いながら「持つけん」と応える。
診察のある日は帰宅が遅くなるので娘に買物を頼んであった。
今夜のおかずは何だろうとわくわくしながら帰る。
「天婦羅」だった。茄子と太刀魚と海老で何と豪華なことだろう。
食費は三千円と決めており娘のやり繰りも大したものだなと思う。
海老の天婦羅が大好きなあやちゃんがにこにこしながら食べていた。
その笑顔を見ただけで私は幸せいっぱいになる。
今朝は「昭和シリーズ」の詩を書いたが
私の少女時代はあまりにも「お涙頂戴」になってしまうので
幼い頃の息子の詩を書いてみた。
ほのぼのと懐かしい。心温まる詩だと自分でも思う。
息子は全く音沙汰がないのだがそれが元気な証拠だろう。
そう思うと音信不通も「安心」に繋がるのである。
昭和、平成、令和と歳月は流れたが
息子はいつまでも私の「こども」であった。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
猫まんま
息子は「猫まんま」が好きだった ぬくぬくのご飯に鰹節を載せて お醤油をちょっと垂らして食べる
父親と一緒に喫茶店へ行っても ココアではなく「猫まんま」と云う もちろんそんなメニューはなかったが もう常連になっておりそれが出て来る
歳月が流れ息子はシンパパになったが 毎晩何を食べているのだろうとおもう カレーを作っているかもしれない 鶏の唐揚げを揚げているかもしれない
電話をすれば「なんぞ?」と云うので そうそう電話も出来ないのだった
ご飯は炊けているだろうか 鰹節は買ってあるだろうか
「おかわり」とお茶碗を差し出した 息子の笑顔が忘れられずにいる
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