ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年09月25日(木) 涎のようなもの

曇り日。今日も夕方少しだけ雨が降った。

気温は30℃に届かなかったがやはり蒸し暑さを感じる。


今朝は通勤途中の国道で冷っとすることがあった。

ツーリングと思われるバイクが2台走行していたのだが

路肩が広くなった所で道を譲ってくれたので

軽く頭を下げて追い越したのだった。

その時大きなクラクションの音がし対向車がすれすれに通過する。

どうやら私がセンターラインを越えていたようだった。

その自覚が全くない。対向車は危険を知らせてくれたのだろう。

私はあくまでも真っ直ぐ走っているつもりであった。

高齢者の事故が多い昨今であるが私もその一人になるところだった。

通い慣れた道だからこそ気を引き絞めなければいけない。



仕事は急ぎの車検が一台入庫していたが不具合もなく午後には完了した。

義父は休養日と決めていたのか居室に籠り切りであった。

声を掛けると車検は済ませてくれたがまた直ぐに居室に戻る。

よほど疲れが溜まっているのだろうとそっとして置くことにした。

明日はまた忙しくなりそうである。義父の助けが必要となるだろう。


2時半に退社。3時半にはもう帰宅していた。

夫と大相撲を観ていたがそのまま5時まで眠っていたようだ。

娘と夕食の支度をし夫の好きな「とろろ汁」も作る。

めいちゃんが喉の痛みを訴え娘が風邪薬を飲ませていた。

おそらく娘の風邪がうつったのだろう。元を正せば私のせいである。

熱が出なければ良いが明日の朝まで様子を見なければいけない。

いつも元気なめいちゃんが弱ると心配でならなかった。

家族皆が健康でとどれ程祈り続けて来たことだろう。



今朝もいつものように詩を書いたが

その日の気分次第でどんな詩になるか全く分からない。

情緒不安定の時もある。そうして意味不明の詩を書いてしまう。

今朝の詩も上出来とは云えなかったが満足感はあった。

自分の詩に酔うと云うことはそう云うことである。

とある詩人さんが過剰に褒めてくれひたすら恐縮する。

その上に励ましの言葉まで頂き身に余ることであった。

伝わる人には伝わるがそうでなければ全く伝わらない。

SNSに垂れ流した「涎」のようなものである。

そんな涎を拭いながらまた明日の私に会いに行くのであった。


※以下今朝の詩


    曼珠沙華


 雨だれの音が切なく響く
 夏はそうして去っていくが
 涙とは誰も気づきはしない

 野には血の色の花が咲き
 その根には毒があるのだそうだ
 手折るにも怖ろしくてならず
 触れることも出来ずにいる

 それはやがて黒ずんで来るが
 死とはそう云うことなのだろう
 いつまでも鮮やかではいられない
 姿かたちは滅ばねばならないのだ

 秋が静かに深まっていく
 いのちもそうして心細くなる
 まさか最後の秋ではあるまい

 花ならば花として尽きよう
 根ならば根として生きよう




 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加