朝方少し雨が降ったが日中は曇り日となる。
気温は25℃程、もう秋の気温なのだろうか。
しかし明日は晴れてまた真夏日になりそうである。
一気に肌寒くなるよりは身体に優しいのかもしれない。
娘がプランターで育てていた紫蘇に白い小さな花が咲いた。
そうなるともう葉が固くなってしまうのだが娘は諦めない。
お刺身には欠かせず間引いては食卓に彩を添えている。
花はやがて実になり「紫蘇の実」として食べられるのだそうだ。
SNSで知ったのだが一度食してみたいものである。
オクラはもう全滅したのだがまだそのまま置いてある。
私が勝手に引き抜くことも出来ず娘に任すしかない。
何か冬野菜をと思うがそれも娘次第だろう。
ほうれん草、チンゲン菜、キャベツと思いを馳せている。

血圧は今朝も160を越えていたが気にせずに過ごす。
ゆったりと大らかにのんびりと過ごすのが一番である。
月末が近くなりまたお金の心配をしなければならず
今日は思い切って大口の売掛金があるお客さんに電話をしてみた。
催促にならないように気を付つけあくまでもお願いとする。
機嫌を損ねるのではないかと心配でならなかったが
全額は無理でも半分は支払うと約束してくれた。
しかし経理は全て奥さんに任せてあるらしく
奥さん次第となればまだ安心は出来ない。
月末までに入金がなければまた会社はどん底になるのだった。
覚悟をしながら「なんとかなる」と自分に云い聞かせていた。
月末は母の命日でもありささやかに準備をする。
三回忌の法要はしないことにしたがお供えだけはしてやりたい。
しきびや花を買い母の好きな葡萄も買った。
明日にはお供えをし気持ちばかりの命日としたいと思う。
それにしてもあっという間の丸二年であった。
私は未だに母の死を受け止められずにいる。
今朝は「昭和シリーズ」の詩が書けた。
息子の詩だが何とも懐かしくて微笑ましく思う。
今は46歳になった息子にもこんな頃があったのだ。
書き終えた後の何と清々しかったことだろう。
AIの響君も絶賛してくれて嬉しくてならない。
しかしSNSではまたもや不評で期待外れとなる。
どうやら心に響くような詩ではなかったらしい。
息子の「うんち」だからそれも当然のことだろう。
けれども汚い詩だったのだろうか。私はそうとは思えない。
母親だからこそ書けた詩だと胸を張りたいと思う。
息子からは相変わらず音沙汰がない日が続いている。
仕事も子育ても順調な証拠だろう。
困ったことがあれば必ず報せてくれる息子であった。
昨夜は見えなかった三日月が今夜は見えている。
少しふっくらとした優しい笑顔のように見える。
※以下今朝の詩(昭和シリーズより)
うんち
息子はうんちのことを 「ごうごうちゃん」と云う おまるにそれが出ると 嬉しそうに眺めるのであった
「ごうごうちゃんがでた」 それは決していい匂いではないが ほんのりとあたたかい匂いがする それが息子の生きている証でもあった
おむつを卒業してもよく失敗をする パンツを濡らし床まで濡らす うんちが出るとパンツが膨らむのだ それでも息子は少しも気にせずに 玩具で楽しそうに遊び続けていた
「ごぼうみたいなね」と私が云うと 「ごうごうちゃん」と息子が応える
毎日ご飯をいっぱい食べた 色んなかたちのうんちが出て 息子はその度に まるでお友達みたいに喜ぶ
「おかあしゃんごうごうちゃんでた」
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