とうとう9月も晦日。朝は涼しさを感じたが日中は真夏日となる。
明日はもう10月だが最高気温は30℃になりそうだ。
夏の陽射しと秋の風がせめぎ合うことだろう。
朝の山道を行けば「イタドリの花」が多く見られるようになった。
遠目には白い花に見えるが近くで見るとクリーム色をしている。
高知では春にイタドリを食べる習慣があるが
全国的には珍しいのかもしれない。
生でそのまま塩を付けて食べることもあれば
ざっと茹でて炒め物や煮物にするととても美味しい山菜であった。
そのイタドリが私は大好きで一年中食べたいくらいである。
春になれば良心市に並び真っ先に買い求めていた。
花が咲くのは主に「イヌイタドリ」らしく
犬と呼ぶくらいで食用には適さないようだ。
枝は大きく山肌からこぼれるように咲く。
そうしてやがて種となり群生して行くのだろう。

月末だけあって仕事は怒涛の忙しさであった。
経理は火の車でひたすら入金を待つしかない。
例の大口のお客さんは待てども待てども来てくれなかった。
おそらく奥さんからストップが掛ったのだろう。
どこも厳しいのは察しが付くがなんだか恨めしくなった。
義父は「いくら待っても来んぞ」と云う。
奥さんが田んぼの草刈りをしているのを見かけたのだそうだ。
経理を任されていて月末を忘れるはずがなく
完全に見放されたとしか思えなかった。
どうしてそこまで無下にされなければいけないのだろう。
良心的に仕事をしたはずなのに裏切られたように思う。
ぎりぎりの資金であったが最終的には何とか整った。
しかし明日からまたゼロからの出発である。
もう何度目のゼロだろうか。ただただぐったりと疲れを感じていた。
母には申し訳なかったが命日にお線香も上げられない。
工場の敷地内に義祖母が住んでいた家があり
母の遺骨も位牌も仏間に供えてあったのだが
僅か30メートル程の距離を歩く気力がなくなっていた。
母はどうして月末に死んだのだろうと思う。
もしかしたら私を試そうとしたのかもしれない。
どんなに忙しくても供養だけは忘れないようにと。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と手を合わせ帰路に就いた。
ほんの5分のことが出来ないのだ。何と薄情な娘だろうか。
帰宅して夫に話せば「気持ちの問題じゃ」と云ってくれて
ほんの少し救われたような夕暮れ時であった。
今朝は母の詩を書きささやかな供養になったと思っていたが
やはり独りよがりだったのだろうSNSでは不評であった。
私ほど足るを知らない者はなく欲ばかりの者はいないと思う。
「もっともっと」なのだ。何度それを思い知ったことだろう。
けれども母には伝わったと思う。
母はいつだって私の詩を読んでくれていると信じている。
声も聴こえる。顔だって見えるのだ。
私は何ひとつ失ってなどいない。
※以下今朝の詩
葡萄
「葡萄が食べたい」 母の最後の願いであった
渇いた口にそれを含むと 噛み砕きごくんと呑み込み そうして嬉しそうに微笑む
たった一粒の葡萄であった 「もっと食べれや」と 父が声を掛けたが 母はいやいやをするように 首を横に振るのである
ずっと葡萄が好きだったのだ どうして知らなかったのだろう 元気なうちにもっと食べさせて やれば良かったと悔やまれる
一粒がやっとだったのだ もう呑み込むことも出来ない
葡萄はぶどうとして母に尽くす その濃い紫色は命の色だろう
一房にはなれなかった 波乱万丈だった母の人生は 一粒の葡萄になり 空の彼方へと消えていったのだ
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