2025年10月01日(水) |
私の未来はいつも明日 |
今日から10月とは思えない真夏日。
週末には雨になりそうだがその後もしばらくは夏の名残がありそうだ。
京都の嵐山では猛暑のせいで紅葉が枯れ始めているらしい。
今年はクリスマスと紅葉の季節が重なるかもしれないとのこと。
地球温暖化で異常気象はもう当たり前になってしまったようだ。
山里ではまだ百日紅が咲き誇っているが
黄色い彼岸花が咲き始めて秋の深まりを感じる。
「ショウキ水仙」と呼ぶのだそうで彼岸花の仲間らしい。
紅い彼岸花は枯れ始めておりとても貴重な花に思える。
田んぼには孫生えの稲が随分と伸び風に靡いていた。
青々とした緑でまるで田植えの後のように見える。
義父は伸び切らないうちにとトラクターで耕しているが
今日はトラクターが故障し捗らなかったようだ。
明日は稲刈りを予定しておりまた忙しくなりそうである。
事務仕事も忙しかったが今日こそはと母の仏前へと行く。
一日遅れとなったがお線香を上げしっかりと手を合わせた。
母はきっと許してくれたと信じるしかない。
そうして一緒に仕事を頑張ろうねと声を掛けた。
整形外科のリハビリがあり2時半に退社する。
仕事はまだ残っていたが明日に持ち越すことにした。
今日も入金はゼロ。何と現金の残高が千円しかない。
あまりのどん底に嘆くよりも愉快でならなかった。
どうにでもなれと思う。もうやけくそ状態である。
リハビリを終え買い物を済ませばもう4時を過ぎていた。
10分程横になり直ぐに夕食の支度である。
娘が何だか機嫌が悪い。話し掛けてもツンツンする。
冷蔵庫を開け鮪のお刺身を見つけると一気に笑顔になった。
ゲンキンなものである。夕食の献立が気に入らなかったのだろう。
毎日メニューを考え頭を悩ませている私の身にもなって欲しい。
今朝の詩はかなりのお目汚し。ああ駄目だなあと思った。
それなのにとある詩人さんが励ましのコメントを残してくれた。
「これからも楽しみにしています」と云ってくれ夢のようである。
自分では不出来だと思っていても伝わる人には伝わるのだろう。
そうなればまんざらでもないと悦に入る私であった。
一度どん底に突き落とされると這い上がれるものらしい。
もう一生誰にも認められないと思っていたが
励ましてくれる人が居て応援してくれる人が居る。
私のような者に何ともったいないことだろうか。
期待を裏切ってはならない。これからも心を込めて書き続けようと思った。
未来などあって無いに等しい。私の未来はいつも明日である。
※以下今朝の詩
あき
窓を少し開けてみる すると秋の声がした
ねえわたしが見える? 笑うと笑窪が出来るの
桜の葉がはらはらと散る そうしてころころと舞う 秋桜は白い花が好きだった 風が吹くとゆうらゆうら
川の水のぬくもりはもう ひんやりと冷たくなり さらさらと流れるばかり
始まりはいつもそう 思いがけない事で満ちている
ねえわたしが見える? 「あき」と名付けられた 少女のようであった
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