曇りの予報だったが十分に陽射しがあった。
気温は30℃あったが爽やかな風が心地よい。
風はもう秋そのものである。
芒の若い穂がずいぶんと見え始め秋の風景となった。
朝陽を浴びて艶々と輝く姿には感動さえ覚える。
芒もやがては老いていくがその過程を見るのが好きであった。
茶の色から黄土色にそうして白へと変わっていく。
枯れ芒も風情があり生き抜いた証にも見える。
「貧しさに負けたいえ世間に負けた」昔そんな歌もあった。
人は老いてしまうともう元には戻れないが
芒には永遠の命が宿っている。春は緑にそうして秋に穂を出す。
根は強く逞しく何度でも季節を巡ることが出来る。

午前中に市内へ行っていたが山里から下るお遍路さんの多さに驚く。
ダム湖の辺りから下り坂になっており何と6人ものお遍路さんであった。
大きな荷物のお遍路さんはなく野宿ではなさそうであったが
おそらく早朝に民宿を出立したのであろう。
時間的にお昼には延光寺に着きそうであった。
そのまま伊予路に入るのもまた大変な道のりである。
颯爽と歩く人、杖にすがるように歩く人。若い人もいれば高齢らしき人も。
皆それぞれに志を持ちひたすら歩く旅路であった。
市内にはディーラーに大型車を持ち込んだ義父を迎えに行ったのだが
方向音痴のせいで道を間違えてしまい義父に叱られる。
「右も左も分からんのか」と云われたが正にその通りであった。
自分でも情けないが市内に住んでいてもその市内がよく分からない。
何度も行ったことのある場所でもよく道を間違えてしまうのだ。
幸い義父は本気で叱ったわけではなかったがすっかり呆れ返っていた。
そうして例の重症の大型車はディーラーに任せたのだが
あまりの重症のためいつ修理が完了するか目途が立たないのだそうだ。
またお客さんに迷惑をかけてしまうので気が気ではなかった。
義父が説明してくれるそうだが納得してもらえるだろうか。
頭を悩ますことは経理の事だけではなかった。
全ての事が順調にと考える事ばかりである。
それも私の仕事だと思えば常に精一杯でなくてはならない。
その上に義父の顔色を窺いどれほど気を遣っていることだろう。
午後は義父が田んぼに出掛けていたので
これ幸いと定時の2時半に退社する。
それで丁度6時間のパート仕事であった。
今月から最低賃金が上がったので収入は増えるのだが
同僚のお給料も上げなくてはならなくなった。
会社は火の車である。困難は後から後から押し寄せて来るのであった。
「野となれ山となれ」と思うが野には芒の穂である。
山はやがて紅葉の季節となる事だろう。
兎は野を駆け猪は山を彷徨うばかりであった。
秋の空は青く澄み渡り何処までも広く続いている。
私の空はいったい何処にあるのだろうか。
※以下今朝の詩
道
この道でいいのだろうか 立ち止まって空を仰いだ
夏の雲と秋の雲が交差し 陽射しと風が混ざり合う
石ころだらけの道である 丸い石と尖った石が 互いを認めようとしている 決して傷つけ合ってはならない
深い山へと続く道 広い海へと続く道
どちらを選べばいいのだろう
ふと背中を押された気がして 立ち上がったその時である
おいでおいでと呼ぶのは 光の天使たちの声であった
すくっと前を向く もう二度と振り向くことはない
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