ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年10月11日(土) 十年一昔

日中は小雨だったが日が暮れてから本降りの雨になった。

気温はそう高くないがまるで梅雨時のような蒸し暑さである。

気になる台風23号は太平洋上を北上しており

やはり前回と同じく伊豆諸島に接近しそうである。

八丈島では大きな被害があったがまたもやの災難であった。

停電や断水は復旧していたのだろうか。報道は極めて少ない。


今朝は朝ドラ「チョっちゃん」が最終回だった。

黒柳徹子の母親が主人公であったが

逆境にも負けず強く前向きに歩む姿が印象的なドラマであった。

終わってしまうと何だか寂しさが込み上げて来る。


仕事は三連休の予定だったが気なってならず同僚に電話すると

昨日延期になった車検は入庫していないとのこと。

義父は朝から乗用車で出掛けたらしく行方も分からないらしい。

特に急ぎの仕事もないようなので予定通りに休ませてもらった。


カーブスまでの時間潰しに10年前の10月の日記を読む。

十年一昔とはよく云ったもので正に「昔」のことである。

3歳の幼いあやちゃん、歩き始めたばかりの1歳のめいちゃん。

私達夫婦は孫三昧をしており懐かしい光景を一気に思い出す。

その当時には家族団欒もあり夕食も賑やかだったようだ。

孫達の成長は当然の事だが「家族」は何処に消えたのだろうと思う。

あまりにも今とは掛け離れており読みながら複雑な気持ちになった。

もう昔の事なのだ。過ぎ去った事なのに違いない。

それを「寂しさ」と呼ぶには何とも切なくてならなかった。


気を取り直してカーブスへ行けば顔なじみのお仲間さんが多い。

今日は唯一の友人だと思っている「ともちゃん」とも会えて嬉しかった。

最愛のご主人を亡くして2年が過ぎたが随分と明るくなったように思う。


昼食にラーメンとお赤飯を食べた。

栗の入っているお赤飯が無性に食べたかったのだ。

一昨日の事だが娘婿が誰かに貰ったらしく栗を沢山持ち帰っていた。

てっきり娘が茹でるだろうと思っていたのだが翌朝にはそれが消えている。

夫も不思議に思ったらしく「あの栗はどうしたがやろう」と呟いていた。

娘に訊けば分かる事だが敢えてそれをしなかった。

ただ私達には食べさせるつもりのない栗だったことは分かる。

何と寂しい事だろうと思うが「たかが栗」だと忘れることにした。

10年前とは確かに違う家族の成りの果てでもある。


こんがらがってしまった糸のような暮しであった。

繋がっているようでぷっつりと切れている。

その糸を手繰り寄せてはならない。それが我が家の掟となった。


娘は口癖のように「いつまでもここには居ない」と云っていたが

私達夫婦はもうとっくに覚悟しておりその日を待っている。

二十年となれば二昔である。すっかり老いてしまった二人の姿が目に浮かぶ。



※以下今朝の詩


    母の夢


 深いようでいて浅いのだ
 眠りの淵を彷徨っていると
 死んだはずの母に会える

 それは笑顔とは限らず
 時には睨みつけて
 争いを始めるのだが
 その憎らしさが愉快だった

 死んでなどいなかったのだ
 こんなにも生きている

 面影は波に揉まれるように
 押し寄せてきたり
 遠ざかったりするが
 砂に足跡を残しながら
 カタチとして記憶になる

 伝えることは何もない
 ただ母としてそこに在る

 黄泉の国はそう遠くはない



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