すっかり日が暮れたが気温はまだ28℃もある。
日中も10月とは思えない暑さであった。
週間予報では来週辺りから気温が下がり始めるそうだ。
いよいよ本格的な秋の到来となることだろう。
朝の国道で6人のお遍路さんを見かけそれぞれに会釈をして追い抜く。
おそらく足摺岬の金剛福寺に向かっているのだろう。
一日ではとても無理に思える距離であった。
大きな荷物のお遍路さんはなく野宿ではなさそうだったが
民宿に泊まるにもそれが毎晩となれば大きな出費となる。
余程経済的に余裕がないと無理な話であった。
国道から山道に入ると道端の芒が朝陽を浴びて輝いている。
その傍らにはセイタカアワダチソウの黄色が鮮やかであった。
ポツンと一軒家はなく小さな集落が所々にあるのだが
民家の庭先には秋桜が咲き紅い鶏頭の花が燃えているように咲いている。
良心市には里芋が沢山並んでおり見ただけでほっこりと心が和む。
今日は買わずに通り過ぎたが明日は買ってみようかと思う。

職場に着くと義父の姿が見えなかったが隣町の宿毛市まで
車検の車を引き取りに行ってくれていたようだ。
9時前には帰り着き早速に同僚が整備を始める。
漁業組合の保冷車なので同僚があまり好まない大型車であった。
一般修理も2台入庫しており今週も忙しくなりそうである。
義父は稲刈りが完全に終ったようでほっと寛いでいた。
午前中にコンバインも丁寧に洗い終える。
それから籾摺りと袋詰めに取り掛かり昼食も食べようとしない。
そのまま2時になり「腹が減った」とやっと食べたくなったようだ。
今朝ご飯を炊き忘れたと云うので急いでお弁当を買いに走る。
よほど空腹だったのだろうガツガツと掻き込むように食べていた。
疲れもあるだろうが何とも朗らかで上機嫌である。
義父と同僚の様子を見ながら3時前に退社した。
最近運転中によくアクセルとブレーキの感覚が分からなくなる。
息子にも注意されたが運転に集中し慎重を怠ってはならない。
特に駐車する時は決して踏み間違えてはいけないのだ。
最近の高齢者の事故は殆どそれが原因であった。
買い物を済ませ無事に家に帰り着くととてもほっとする。
夫はエンジン音で私の帰宅が直ぐに分かるようで
外に出て来て買い物の重い荷物を運んでくれるのが日課であった。
何と助かることだろう。「ありがとね」と伝える事を決して忘れない。
夕飯は娘とあれこれ作ったが今日は娘婿の帰りが遅かった。
そのせいかめいちゃんの姿も見えずあやちゃんは当然の如しである。
今に始まった事ではないと思うがやはり寂しいものであった。
今更家族の真似事をしようとも思ってはいない。
ただささやかな家族のふれあいを求めてしまう時がある。
たとえば「晩ご飯は何?」そんな一言であった。
秋の夜長だろうか。何だか真っ暗な空が切なくてならない。
窓からは星も見えずいっそう寂しくなるのだった。
※以下今朝の詩
行列
ざわざわと騒がしい この行列は何だろう
人々が押し寄せて来る 足を踏む音が響き渡り 溢れんばかりの息である
遠ざかることが出来ない やがて呑み込まれてしまう 混乱の末に潰されるだろう
はらはらと散るのは夏の名残 まるで死骸のように積もる そうして秋をまとった風が 道を吹き抜けていくのを見た
行列は何処までも続き 最後尾の面影は遠く霞む
見届けなくてはならない
季節が移り変わろうとしている その真っ只中の出来事であった
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