爽やかな秋晴れに思えたが今日も真夏日となる。
しかしそよ吹く風は心地よく夏の名残を和らげてくれた。
あちらこちらで秋桜が満開となり写真を撮りたくてならない。
特に山里の民家の畑の傍には真っ白い秋桜が咲いており心を奪われる。
それは一輪ではなくまるでブーケのように見えるのだった。
今朝こそはと思ったが県道沿いのことで車を停めることが出来なかった。
数年前の私ならどんな場所であっても駆け出して行ったことだろう。
情熱のようなものはあるが実行力が随分と廃れたように思う。
ただそんな秋桜に毎朝会えることだけが救いであった。

職場に着けば義父がそわそわと落ち着かない。
週末は雨のようで今日は田んぼを耕しに行きたかったようだ。
しかし工場の仕事が忙しくそれどころではなかったのだ。
「もう限界ぞ、どっちかを止めんと何ともならん」と声を荒げる。
82歳の高齢となり二足の草鞋にも余程の無理があるのだろう。
「じゃあ工場を止めるかね」と私が云うと一瞬どきっとしたようだ。
そうかと思うと「仕事をする」と云い出し工具を手にしている。
そうなればもう要らぬ口は叩いてはならず義父の意思に任せるしかない。
厄介な修理を午前中に終わらせお昼には宿毛市まで納車に行ってくれた。
義父でなければ出来ない仕事がある事を自覚してこその事だった。
田んぼは待ってくれるがお客さんは待ってはくれない。
何を優先するべきか義父も真剣に考えた結果だろうと思う。
同僚は車検整備をほぼ終わらせていたがお客さんからの要望があり
それを完璧に果たすまでは完了とは云えなかった。
故障個所が「分からない」と云うのだった。
分からないものをいつまでも眺めていても埒が明かない。
義父にそれを伝えると直ぐに助け舟を出してくれた。
しかし部品が明日にならないと入らず今日の完了は無理となる。
車検となれば私も休むわけには行かず明日は出勤することになった。
3時に退社。大型車を預けていたディーラーに行かねばならず
義父を伴い市内へと走った。義父の機嫌はすこぶる良く会話が弾む。
もうすっかり田んぼの事は忘れているようだった。
工場の仕事も同僚一人で整う日もきっと来るだろう。
どうか焦らずに気長に待って欲しいと願うばかりであった。
帰宅して母に「明日も仕事やけんね」と手を合わせる。
遺影は満面の笑顔であったが母も疲れていることだろう。
今日もはらはらしながら見守ってくれたのだと思う。
毎日が順調とは限らない。山あり谷ありの日々であった。
※以下今朝の詩
谷
山あれば谷あり 今は谷ではあるまいか
清らかな谷川の流れ 蹲って水に触れると はっとするほど冷たい
ちいさな魚が群れている 何と心地良さそうなこと 苔を食べて生きている その緑が生きる糧であった
さらさらと音がする 水も生きているのに違いない 岩肌を潜り抜け野に辿り着く
たとえ谷底であっても 光はきっと届くだろう 木漏れ日は優しく降り注ぐ
名も知らぬ花も咲く 決して手折ってはならない その命の何と尊いことだろう
見上げれば高い山が見える 爽やかな風が吹き抜けて 空がいっそう近くなるのだった
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