曇り日。夕方からぽつぽつと小雨が降り始めている。
秋を招く雨かも知れないが日中は今日も蒸し暑かった。
サニーマートに買い物に行くと秋の装いの人が多く驚く。
長袖の人、重ね着をしている人、カーディガンを羽織っている人もいる。
外気は28℃の夏日であるのに暑くはないのだろうかと不思議でならない。
店内は冷房が効いていたが決して肌寒くはなかった。
10月は衣替えの季節だがもう夏服を仕舞ってしまったのだろうか。
臨機応変にと思うが暑さを感じるのも人それぞれなのだろう。
私は人一倍暑がりなのでまだまだ夏の装いで胸を張っている。
ゆっくりのんびりの日曜日であった。
今朝は夫が掃除機を掛けてくれて大助かりである。
床の拭き掃除もままならない。あちこちに埃が見えていた。
そうして殺風景な庭先。花苗は今日も買いに行かない。
そのうち娘が整えてくれるだろうと思うが
彼女も日曜日は一気に疲れが出ているようだった。
午後は図書館にも行かずごろごろと寝てばかりである。
道に迷った嫌な夢を見てしまい夢の中で焦りまくった。
それも車ではなく自転車に乗っておりしんどくてならない。
国道かと思いきや山道も走っており人影も見当たらないのである。
夫に電話をして迎えに来て貰おうとしたが携帯電話を持っていなかった。
3時間程寝ただろうか、目覚めたらぐったりと疲労感に襲われる。
自室で冷たいコーヒを飲んだり煙草を吸ったりしたがすっきりしない。
無性にアイスが食べたくなり近所のローソンへ走った。
迷わず「チョコもなかジャンボ」を買い求め直ぐに食べたのは云うまでもない。
なんと美味しいことだろう。頭も身体もすっきりと元気になった。
娘達が夕食不要とのことで輸入肉のステーキを一枚焼く。
夫は魚よりも肉を食べたがり大喜びであった。
私は魚が好きなので秋刀魚が良かったのだが今夜は我慢する。
夫の美味しい顔が見られて何よりも幸せだと思った。
娘達も牛肉を買って来ており今夜は焼き肉のようだったが
食卓にはあやちゃんの姿もめいちゃんの姿も見えない。
要らぬ口を叩いてはならず娘には何も云えなかったが
そんな夕食が当たり前になっていることが哀しかった。
核家族には違いなかったが何とも受け入れ難い現実である。
雨は止んでおり何処からか打ち上げ花火の音が鳴り響いていた。
何の情報もなかったが秋祭りかもしれないと思う。
音だけで花火は見えないが秋の花火も風情があるものだ。
何となくしんみりとするのは秋の夜のせいかもしれない。
随分と生きて来たように思うが後どれ位だろうといつも思う。
思い残すことはないが命が尽きることが怖くてならない。
※以下今朝の詩
いのち 最後ではないかといつも思う 心細さは何処から来るのだろう
あれは春の日はらはらと散った 風に舞い吹雪のような花びらのこと
夏には緑に随分と助けられた 強い陽射しに照らされながら 影になれば生きていられたのだ
秋はもの哀しい季節であった 今度は葉がはらはらと散る もうどうしようもないと思う
やがて木枯らしが吹き始め 何も纏うものがなくなったが 骨のような枝を守り続けた
生きてさえいればと思う 季節は何度でも巡って来る
心細さを打ち消すように 今はただ風に吹かれている
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