ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年10月23日(木) 広い野原

二十四節気の「霜降」大気が冷え始め霜が降りる頃。

昨日の肌寒さが今日も続くかと思っていたのだが

気温は22℃まで上がり過ごし易い一日となる。


あちらこちらに咲いていた秋桜がもう枯れ始めてしまった。

僅かに花を残し種を沢山付けているのが見える。

それはまた巡り来る季節の「約束」となるのだろう。

花の終りは憐れなものだが決して哀しんではならない。



今朝は職場に着けば義父の姿は見えず朝刊も取ってはいなかった。

田んぼに出掛けた形跡もなく二階の居室のなんと静かなことだろう。

同僚の話では昨日の夕方友人が訪ねて来ていたそうで

どうやらそのまま行きつけのスナックへ行ったようだった。

よくあることだが飲み過ぎてしまったのかもしれない。

二日酔いだとしてもお昼には起きるだろうと待っていたが

2時を過ぎても物音ひとつ聞こえず何だか心配になった。

82歳の高齢者である。二日酔いをするような年齢ではなかったが

よほど楽しい夜だったのだろう羽目を外し過ぎたのに違いない。

とにかく様子を見に行かないと帰るにも帰れない。

息絶えている可能性もありそれが一番不安でならなかった。


居室への階段をやっとの思いで上り「おとうさん」と声を掛けたら

「おう」と小さな声が聞こえた。咄嗟に「生きちょるかね」と声が出た。

蓑虫のように布団に包まっている姿は何とも情けない。

する仕事はあったがどうして無理矢理起こすことが出来ようか。

日頃の疲れも出たのだろう。ゆっくりと休ませてやりたかった。

「起きんでもえいけん寝よったや」と云うとほっとしたようである。

そうして今日は義父にとって貴重な休養日となった。


同僚に留守番を頼み2時半に退社する。

仕事は順調とは行かなかったが不思議と焦りを感じない。

野もあれば山もある。今日は広い野原のように思えた。

ゆったりのんびりと歩いている。空を見上げる余裕もあった。

急いで駆け出す必要はない。そのために明日があるのだと思う。


帰宅して母の遺影に報告すれば母も頷いているようである。

「お父さんらしいよね」と二人で笑い合った。

生きている限り明日がある。明日はあすの風に吹かれよう。


※以下今朝の詩


     霜降

 見えること見えないこと
 知っていること知らないこと

 あやふやでありながら確かなこと
 信じる信じないも己次第である

 霜降の朝であった
 季節は晩秋から初冬へと向かう
 野を彩っていた花は枯れ始め
 たくさんの種を残そうとする

 その行く末を知らないことは
 また巡り来る季節への憧憬か
 夢を夢で終わらせないために
 すくっと前へと歩み始める

 果てしない空の彼方に
 見知らぬ町があるように
 雲を追い駆け風に身を任せる

 どれほどの希望だろうか
 きっと知らないほうがいい



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