ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年10月26日(日) 風に吹かれながら

朝のうちは雨が降っていたが次第に青空が見え始める。

24℃まで気温が上がり少し暑さを感じた。

けれども風は秋を装い何と爽やかなことだろう。

部屋中の窓を開け広げ風に吹かれていた。


やっと夏物の衣類を仕舞う。やがては冬物の出番がやって来る。

去年の今頃は何を着ていたのだろうと思う。

さほど衣装持ちではなく古びた衣類が多い。


お昼にはお好み焼きを焼いて食べた。

夫はビールを飲みご満悦である。

いかにも日曜日らしくまったりとした時間であった。


午後はお決まりのお昼寝となり3時までぐっすりと寝る。

夕食はおでんの予定だったので玉子や大根を湯がいた。

珍しくあやちゃんが階下に来ていたので玉子の殻を剥いてくれたのだが

茹で方が悪かったのか殻がつるりと剥けない。

「おばあちゃん無理」と云うので一個だけ剝いてもらった。

それでも手伝ってくれたのが嬉しくてならない。

おでんの匂いが家中に漂い何とも平和な午後であった。


めいちゃんは元気に「行って来ます」と声を掛け出掛けて行く。

娘達は無言である。やっぱりねと夫と苦笑いしていた。

5時前には帰って来たがめいちゃんのお化粧が凄い。

口裂け女のように口紅を塗っていたのである。

訊けばハロウィンのイベントでダンスを披露したのだそうだ。

それで正式な発表会ではなかったことを初めて知る。

だから娘も何も云わなかったのだろう。

昨夜の寂しさが一気に薄れて行った。

私と夫の取り越し苦労だったのだ。


夕食後暮れなずむ空にぽっかりと浮かぶ三日月を見た。

まるで「詩とメルヘン」の世界のようで心が和む。

癒しの時間はそうして思いがけずにやって来るものなのだ。


特に辛いこともなくのほほんと過ごしていても

ふっと不安が襲って来ることはよくあることである。

何かを失いそうな危機感は常にあるのではないだろうか。


生きたことよりも生きることを選ぶ。

すくっと前を向いて踏み出して行かねばならない。


※以下今朝の詩


     熟柿

 熟してくると落ちる
 そうなればもう
 カタチはなくなり
 どろどろになってしまう

 いっそ鳥に啄まれたかった
 彼らの糧になれたものを

 ちくちくと痛むのは
 群がる蟻の仕業だろう
 彼らにとっても糧であり
 貴重なカタチなのである

 種だけは残したいと思う
 何の希望も在りはしないが
 それが最後のカタチであった

 秋が深まっていく
 やがて木枯らしの季節がやって来る








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