風もなく穏やかな晴天。優しい陽射しが降り注いでいた。
しかしそんな好天も西日本だけだったようで
関東や近畿では木枯らし一号が吹いたそうだ。
雹や霰が降った地域もあり冬の兆しを感じたことだろう。
今朝は庭に出ると娘が多肉植物を飾ってくれていた。
以前から好きで育てていたので種類も多い。
ようく見ると何とも可愛らしく心が和む。
けれども寒さに弱いのでつかの間になりそうである。
冬は小さなビニールハウスで育て春を待つ。
やっと地場産市場へ行き花苗を買い求めようとしたが
葉牡丹の苗は沢山あったビオラは少ししかなかった。
それもあまり良い苗ではなかったので買わずに帰る。
葉牡丹はもう少し先の方が良いだろう。
朝のうちに扇風機を片付け炬燵を出した。
炬燵布団を押し入れから出せば夫が陽に干した方が良いと云う。
私もそう思ったが肌寒い朝の事で直ぐに炬燵に入りたくてならない。
通電にはまだ早いが炬燵があるだけで暖かさを感じるものである。
午後は直七を搾る予定だったが搾り器がまだ届いていなかった。
ネットで配送状況を確認すると近くの営業所まで届いているらしい。
引き取りに行くことも考えたがもうトラックに積んであるかもしれない。
迷惑をかけてしまうので到着するのを待つことにした。
しかし3時まで待ったが届かず仕方なく手で絞ることにする。
思いがけずに夫が絞ってくれて何と助かったことだろう。
何とか一リットル程の果汁が搾れたがもう夫が限界であった。
搾り器があれば楽なので明日また絞ってくれるそうだ。
夕方やっと宅配便が来てくれる。わくわくしながら封を切ると
何だか思ったよりも小さく玩具みたいな搾り器だった。
でもステンレス製なので作りは頑丈で役に立ちそうである。
めいちゃんが興味を示し2個だけ絞ってみた。
子供の力でも簡単に絞れて買って良かったのだと思う。
夫は明日の仕事が出来て嬉しいのやら面倒なのやら「やれやれ」と呟く。
家中に直七の爽やかな香りが漂う夕暮れ時であった。

金曜日にここに記した例の文芸賞の表彰式であるが
よくよくネットで調べてみたら佳作者は出席出来ないのだそうだ。
表彰状は郵送と記してあり何だか穴に落ち込んだような気分になった。
やはり佳作は佳作なのだ。その他大勢となり隅に追いやられる。
表彰式には胸を張って出席しようとほざいていたことが恥ずかしい。
「お呼びでない」その現実はいささかショックであった。
しかしそれが悔しさならきっとバネになるだろうと信じようと思う。
文芸賞は毎年応募があり来年もきっと挑戦するつもりである。
私が賞に拘るのには理由があった。
私の詩を「詩ではない」と罵倒し踏みにじったO氏への反撃である。
「思い知らせてやる」何度そう思ったことだろう。
今回の応募にもそれが一番に頭にあったように思う。
動悸が不純なのだ。だから佳作どまりになったのだろう。
雑魚でも道端の石ころでも野の雑草でもいい。
「これが自分だ」と胸を張れるような詩を書きたくてならない。
※以下今朝の詩
風
樹々が薄化粧を始める頃 風の囁きが聴こえる
そよと云えばそよと応え 呼応する声がこだまする
兎は山野に佇みながら 明日のことを考えていた
失くした耳はもう戻らない 傷口は痛むが嘆くことをせず ただ生きてさえいればと 風に吹かれ続けている
空の青さが目に沁みるのは 瞳に宿る希望ではあるまいか
失うことは始めることである
やがて樹々はその枝を揺らし 風そのものとなり舞い始める
儚い秋であったが兎は満たされていた
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