今朝は一段と冷え込み今季の最低気温を更新する。
立冬も近くなり晩秋ならではのことだろう。
すっかり秋が深まったように思うこの頃である。
朝の国道を行けば桜並木の紅葉に目が留まる。
「桜紅葉」(さくらもみじ)何と風情のある呼び名だろう。
古くからの日本語はまるで詩歌の世界を思わす。
紅葉が終われば葉は散り裸樹となるが枝を空に伸ばし
冬の寒さに耐えている姿もまた好きだなと思う。
自然は決して媚びることをしない。だからこそ愛でてやるべきなのだ。

三連休明けの仕事であったがさほど忙しくもなくぼちぼちであった。
義父は昨夜から歯痛が酷く歯医者さんへ行っていた。
お昼には帰って来て痛みは治まったらしく昼食も食べられたようだ。
厄介な修理に取り掛かっていたが連休中は部品が入らず保留である。
午後には乗用車に乗って行き先も告げずに出掛けて行った。
同僚は車検整備がありこつこつと働いてくれる。
直七のお礼を云えばまだまだ沢山あるのだそうだ。
何とか商品化出来ないものかと思うがそんな暇があるはずもない。 欲しい人があれば分けるが名乗り出る人も居ないのだそうだ。
美味しい直七なのに何ともったいないことだろうか。
2時を過ぎても義父は帰らず特に急ぎの仕事も無かったので
いつもより少し早めに帰路に就いた。
夫の直七絞りが気になっていたのだが帰宅すると全く手を付けていない。
昨日はやる気満々だったのにいったいどうしたことだろう。
理由を訊けば一人では気が進まなかったらしい。
よほど私と一緒に絞りたかったのだろうと思うことにした。
何しろコンテナいっぱいの直七と格闘せねばならないのだ。
娘婿の41歳の誕生日であったが夕食は特にご馳走ではなかった。
焼き肉かステーキと思っていたのだが鶏の唐揚げが食べたいと云う。
お安い御用で今朝から鶏肉を漬け込んでいた。
後はお刺身の盛り合わせとワインを買いささやかな誕生日である。
父親の誕生日だと云うのに今夜も食卓に孫達の姿がなかった。
老婆心が疼いたが一切の口出しは禁句である。
おそらくもう元には戻らないと思う。前途はそう明るくはない。
明日は雨になるらしく暗闇ばかりの夜空になった。
不安や心細さはいつものことだが圧し潰されてしまいそうだ。
いったいどうすれば「死」から逃れられるだろうと
しょうも無いことを考えている。
「生きたい」欲を捨てられたらきっと楽になるのだろう。
※以下今朝の詩
木枯らし
もう木枯らしの季節 あと数日の秋を残し 冬が立とうとしている
冬に生まれたこどもは 寒さに負けずに育って やがて初めての春を知る
母の乳房に顔を埋めながら 柔らかな陽射しを浴びていた
たんぽぽ桜チューリップ 初めての出会いに微笑む 母の声がそよ風になった
空の青さを知ってから 光の天使とふれあった 小さな手を空に伸ばす 息を放てば風にもなれた
木枯らしは知っている どのように生きるかを
冬がなければ春は来ない
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