どんよりとした曇り日。雨が降りそうで降らず。
気温は20℃に届かず少し肌寒さを感じる一日だった。
予報では今夜遅くから明日の朝にかけて雨になるようだ。
今朝の山道ではお遍路休憩所に「マリーゴールド」が活けて在り
鮮やかなオレンジ色がまるで陽だまりのように見えた。
お遍路さんの姿は無かったがきっと足を止めることだろう。
それからその花の事が気になり職場に着くまで探し求める。
民家の庭先であったり畑の隅にも植えられてあった。
今まで気にも留めなかったが何と可愛らしい花だろうか。
花期は4月から10月らしい。11月になると枯れてしまうのだそうだ。
もう11月なのでそろそろ見納めになるのだろう。
今日気づいて良かったと思う。数日経てば出会うこともなかった。

仕事は朝一から来客。話し好きのお客さんで会話が止まらない。
やっと見送ったと思えばまた新たな来客があった。
そのお客さんも話し好きでとうとうお昼まで粘られる。
会話は楽しかったが事務仕事は全く手に付かない。
仕事をしながら相槌を打つなどもっての外に思えた。
ちゃんと目を見て話すこと。それが一番大切な事である。
午後もまた来客があったがリハビリの時間が迫っており
訳を話してお先に退社するしかなかった。
お客さんは快く応じてくれて何と助かったことだろう。
それにしても来客の多い日で有難いことだと思う。
義父は午後から宿毛市内の県立病院へ行っていた。
義父の妹である叔母が腰を骨折しており今日は手術であった。
もうひと月近くも入院しているのに随分と遅い手術である。
昨日義父が出掛けたのは病院へ行き説明を受ける為だったようだ。
何も告げずに出掛けたので気にはなっていたが
やはり妹の事が心配だったのだろう。義父らしいなと思う。
叔母にも家族は居るのだが子供達と3人暮らしであった。
その子供達が心許ない。今日の手術にも顔を見せなかったそうだ。
叔母も憐れでならず例え完治しても先が思い遣られるばかりである。
まだ70代の叔母であるが認知症も始まっているようだった。
この先きっと義父の支えが必要となることだろう。
リハビリ前に待合室の計測器で血圧を測ったら174もあった。
U君に話したら再度測ってくれたがそれでも169である。
整形外科なのでどうすることも出来ず元気なので良しとした。
今月は内科の受診があるので医師に相談して見ようと思っている。
血圧が高くても死ぬことはないと医師は云っていたが
その言葉が何だか信じられなくなって来ている。
そうして今日か明日かと追い詰められているようだった。
幸いなのは元気な事で体調には全く異常がない。
けれどもある日突然もあり得るだろう。それが不安でならなかった。
死ぬのなら死ぬと云って欲しいが誰も教えてはくれないのである。
そうなればあっけらかんと生きて行くしかないだろう。
死んでしまえばどうすることも出来ないが
一日一日を縫うように書き続けて行きたいものだ。
※以下今朝の詩
記憶
遠くなったり近くなったり 記憶の欠片が風に舞っている
少女がおとなになった時 真紅の血が流れるのを見た なんと残酷なことだろうと 嘆かずにはいられなかった
春になればこころが芽吹く それは希望に似ていて 未来への道標であった
いつまでも少女ではいられない 羽ばたく準備をする時が来た
空は手を広げて待っている 勇気を出して飛ばねばならない
空の一部になってしまえば もう何も怖れることはない
これは記憶なのだろう 生きた証を抱きしめる時が来た
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