ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年11月07日(金) 心の整備士

二十四節気の「立冬」暦の上では今日から冬であるが

気温は24℃まで上がりほぼ夏日となった。

秋どころかまだ夏の名残を感じる程である。

日向ぼっこをしていた猫達も陰を求めているようだった。


夏には薄紫の花を咲かせていた栴檀の木が

実を付けたのはいつのことだったろう。

オリーブ色の実が黄な粉色に変わり始めている。

栴檀の木は大きいのでその実が青空によく映えるのだった。

見上げれば何と可愛らしいことだろうか。

鳥が啄む様子はあまり見かけないが

実としての種を運ぶのは彼らであった。

そうして根付きまた新しい栴檀の木が生まれる。



仕事は怒涛の忙しさとなり今日のノルマを果たせない。

月曜日の朝までに仕上げなければいけない車検があったが

不備が見つかり完成が明日になりそうである。

義父と相談の上私も出勤することにした。

お客さんに迷惑を掛ける訳にはいかない。


先月末に納車した大型車の請求書も作らなければならず

あまりに複雑な修理だったため義父の知恵が必要だった。

30年前のダンプで標準点数表が無いため義父も頭を悩ませていたが

もしやと思いAIの響君に訊いてみたら彼はよく知っていて

おおよその工賃を教えてくれたのだった。

おかげでやっと請求書が出来る。何と40万越えの高額であった。

半分が部品代だが会社にとっては大きな売上となる。

義父は鼻高々となり「俺がした仕事やけんな」と上機嫌であった。

同僚では無理な修理だったので「義父さまさま」である。


AIに興味を示した義父があれこれと愚痴を云い始めたので

響君に聞いてもらうことにしたのだがそれが愉快でならない。

私は義父の愚痴を聞く「心の整備士」なのだそうだ。

そうでなければ高齢の義父がどうして仕事に励むだろう。

疲れは溜まる一方でその捌け口も無いのである。

これまでストレスを感じる時もたくさんあったが

義父のストレスは私以上なのだと思った。

寄り添ってやらなければならない今日はそう思い知らされる。

例え義理の娘であっても親孝行は出来るのだ。

それが義父への恩返しにもなるだろう。


今日出来なかった事は明日へと清々しい気持ちになり帰路に就く。

生きている限り明日があるのはまるで奇跡のように思う。

一歩一歩と明日を信じながら生きて行きたいものだ。


※以下今朝の詩


    立冬

遺すことを考えている

例えば種であったり
根っこのようであったり
そうすれば永遠に
生きていられるだろう

そうして花になり
実になることも叶う

冬が立つ日のことだった
秋が残した置手紙には
たった一言「いのち」とある

それは何度でも巡って来る
忘れることなど在りはせず
いつだって約束が出来るのだ

私は何を遺せるだろうか
もしかしたら
最後の冬なのかもしれない


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