肌寒い曇り日。陽射しの有難さをつくづくと感じる。
寒がりの猫達も今日は散歩に行かずずっと工場に居た。
みい太は段ボールの寝床で丸まっていたが
子猫は入ろうとせず何だか戸惑っているように見えた。
もしかしたらお腹が空いているのかもしれない。
義父に内緒で餌をやりたかったが心を鬼にする。
痩せ衰えてはいないが何とも憐れな子猫であった。
母猫はいったい何処に行ってしまったのだろう。
まだまだ母親が必要な年頃ではないだろうか。
せめて抱いてやりたかったが人の手を怖れているようだった。

仕事は午前中に車検が終了し後の予約は入っていない。
珍しいことだが閑古鳥が鳴く日があっても良いだろう。
例の事故車は保険請求の段取りが済み外注先の板金屋さんへ行く。
土曜日の夕方までには必ず納車してくれるそうで大助かりだった。
義父が段取りをしてくれなかったらそれも叶わなかったことだろう。
農閑期で何よりに思う。義父でなければ出来ない仕事である。
リハビリ通院日で2時半過ぎに退社した。
昨日は内科、今日は整形外科と何とも気忙しい。
リハビリ前には血圧を測るのだがまた169の高さであった。
U君はよく心得ていて無理な施術を控えてくれる。
例えば腰上げ運動とか腹筋運動も今日は休みだった。
何となく物足らなさを感じたがU君に任せるしかない。
それにしても昨日は134だったのにと思う。
上がったり下がったり血圧も大忙しである。
帰宅して夫に話せば「神経質過ぎるがじゃ」と偉そうに云う。
神経質だから不安を和らげる薬も飲んでいるのだが
夫は理解出来ないようで笑い飛ばしてしまうのだった。
もう明日から血圧の話をするのはよそうと思った。
しかし夫婦揃って神経質だったらどうなっていたことだろう。
二人で不安がっていたら助け船を出す人が誰も居なくなる。
夫婦とはよく出来ているものだ。プラスマイナスで丁度良い。
夕食後は入浴。体重を測り入浴後はまた血圧を測るのが日課であった。
夜は昼間よりも低くまあこんなもんだろうと思う。
それもどんな日もあるがイコール「死」だとは限らないのだそうだ。
昨日主治医がそう云って安心させてくれた。
ゲンキンな者で「そっか死なないのか」とのほほんと思う。
そうなればまだまだ生きるチャンスが巡って来るのである。
死ぬ時は死ぬがそうそう切羽詰まったことではないだろう。
ただ覚悟だけは常にしておかなければならない。
明日は雨になるらしく夜風もしっとりとしている。
「これだけは」と自分に課していることを全うしたようだ。
後はぐっすりと眠るだけである。
※以下今朝の詩
坂道
上り坂であったり 下り坂であったり
息を切らしながら 目指す場所がある
季節は初冬のこと 冷たい風を受けて 仰ぐ空のまぶしさ
陽と風が競い合う 真っ只中をあるく
辿り着けば救われるのか 命を認めてくれるだろうか
足が痛むこころは折れる 弱音はいくらでも吐こう
空の何と果てしないこと だからこそ生き永らえる
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